放送大学「生活と福祉コース」の中の、医療・健康や福祉関係の科目をほぼ終えた。老後の趣時間つぶしの放送大学なので、次に興味の湧く科目をと考えてる、のだが・・・。

死生学のフィールド・高齢期の生活変動と社会的方策・ライフステージと社会保障・人間にとって貧困とは何か・地域福祉の課題と展望・地域包括ケアシステムと在宅ケア、これらの社会福祉施策などに関する科目は、理想と現実、行政の決め事と現場との、大きな乖離を感じるところもあった。キレイ事といっては生意気すぎるが、実際に見聞きしてる事とは違いすぎてる。理想的な目標を掲げて、それに近い一部の活動を学ぶことは、それなりに意義があるのだろうが、何となく得心のいくものではなかった。ただし科目自体の内容は一般書籍とは違い、大学教育の人文科学における社会学を学ぶという点では、理想論とはいえ様々な考え方を教えられ、視点を変えて考えられることが出来るようになった。
特に『地域福祉の課題と展望』では、福祉活動の成功例が取り上げられ、興味ある内容だった。山間僻地や限界集落での活動は大変に素晴らしいと感じた。そのご苦労も知ることが出来たが、現実問題としてその活動のための予算は、その地域では全く賄えてないだろう。山間部の高齢者が多い地域での福祉活動では、利益など出ない。それをどの様に賄っているのか、そういう所まで知りたかった。山間僻地の高齢者を見捨てろということではなく、日本の自然や水源地保護などの観点から、そこに住む人達の存在は重要だと思う。だからこそ永続的に、全国的に展開できる福祉事業として、また環境保護という事からも、行政や予算に関しても知りたいところではあった。
また『地域福祉の課題と展望』の前段部での、社会福祉の歴史は良いのだが、活動としての「赤い羽根募金活動」の歴史や意義を強調して、ずいぶんと時間を割いていた。以前から「赤い羽根」の募金活動に対して、善意の寄付ではないような、町会や学校の活動を通してほぼ強制的に(額は多くはないが)集めているという事に疑問を持っていた。募金で様々な活動を行い、多くの団体に支援も行っている。集め方にも疑問を感じていたが、使われ方の基準も良く分からなかった。使われ方が問題になったのは最近のことで、特にCorabo問題では今までアンタッチャブルとしてマスコミが見ないふりをしニュースでも取り上げなかったことが、その資金源が「赤い羽根募金活動」であったと一部取り上げられることになった。その是非は解らないし、論じることはしないが、「赤い羽根募金」の使われ方がいい加減であったということは分かってきた。
戦後の日本のために、その「赤い羽根募金活動」は大いに意義が有ったのかもしれない。我々の世代からすれば、学校を上げて真剣に募金活動を行ってきた。その活動が現在も当たり前のように行われてきてる。この歳になり、周囲には苦境の中懸命に生きている家庭、母子家庭、障害児を抱えた家庭、解雇された人の家庭、とうとうの家庭を見ることが、目が向くことが多くなった。そんな家庭でも、同調圧力というのか、無言の強制力のようなモノで最低金額として300円以上が集められている。身近に多くの困窮家庭を見ても、そこには集められて300円すら配布されていない。こういう疑問を大いに感じた。
『人間にとって貧困とは何か』も、NNという死刑囚の手記から、貧困を見つめてた。また生活保護や母子家庭、母親の就労、学歴が及ぼす貧困、野宿者、ネットカフェ難民、被差別民、外国人就労者など、様々な視点から問題提起されていた。この科目はとても好きな内容で、多くのことを考えるきっかけにもなった。社会問題を貧困という面から見つめるための、新しい視点を得られたと思う。
それでも『人間にとって貧困とは何か』という科目には物足りなさを感じた。第一に、問題解決のために何をすべきか、どこに解決策を求めるのかが述べられていない。これは学んだ者が、自身の課題として取り組むべき事としているのかもしれない。社会学の深さを全体を通して学べた。第二には、いわゆる社会派的な臭いを感じてしまった。現実問題として、孤独な日本人による生活保護申請では親族への連絡や就労をしないことの責めなど、いわゆる「窓口の壁」が高くそびえている。それに引き替え、貧困ビジネスなどの生活保護費の収奪などは、そこに食い込むことなく簡単に生活保護を受理している。一部には在日外国人への生活保護や、その家族に対する医療費や児童手当(日本に暮らしていない)の支給なども起きているが、団体や人権派という人達の窓口対応では、簡単に処理し支給が行われている。本来は日本国憲法第24条1項において、日本国籍を有する者への生存権のはずが、それに準ずるという一文を以て本来からズレたように感ずる。そういう矛盾点が全く述べられていなかったのが残念だった。そこまで行くと与野党の政治そのもにも関係してしまうので、述べられていないのかもしれないが、現実には生活保護だけではなく、多くの点で日本人に対する冷たさを感じる。
「高齢期の生活変動と社会的方策(’19)」も少し、わずかの期間で多少内容的には古く思われるところもあった。老年期におけるコミュニティケアや地域包括ケアシステムについても、他の科目と同様に疑問や解説だけに終始してるように感じた。それは内容的に広くて、放送教材も他の教材に比べても360ページを超える大部であるように、広範囲すぎて詳細な解説は難しいのかもしれない。
高齢期の生活で、そのもっとも大きな基盤が年金や預貯金という生活資金の確保だと思う。老後資金が足りないとか、年金が安くて老後の不安が・・・などと聞くが、生活実態として本当に必要な金額が述べられていない。筆者自身の年金額は個人経営であったこともあり、100万円をわずかに超える程度であるが、全く生活が出来ないということでもない。放送大学の学費等は子どもからの仕送りで賄っているが、それ以外の書籍代やネットなどの通信費や食費など、旅行なども何とかなってる。このわずかな年金の中で各種保健や税金も納めている。預貯金もないが、質素ではあるが暮らせている。高齢期での生活不安は金銭的な基盤だけではなく、生活上の何となく目に見えない不安感、マスコミの煽りのような不安感が大きいようにも思える。
他の科目も、問題意識を持って受講すると大いに考えさせられる。それが学ぶことの面白さかもしれない。なお、23年度前期開講科目を見ると、『人間にとって貧困とは何か』は閉講となり、新たに『貧困の諸相(’23)』が開講されている。同じく『高齢期の生活変動と社会的方策(’19)』が閉講になり、『高齢期を支える(’23)ー高齢者が社会を支える時代に向けー』が開講された。担当教師も変わったので、同じ内容では無いと思うが興味の有る内容となってる。前期科目は『新しい日本語』と『日本語学入門』を予定していたのだが、迷い始めてる。
科目選びで大切なことは、同じ様な科目を選ぶことだと思う。入学初回時に人体の構造と機能・睡眠と健康・健康と社会・食の安全・食と健康・公衆衛生などの他、基礎科目として運動と健康・日本語リテラシー・自然科学はじめの一歩・英語事始めなどと面接授業を受講した。訳も分からず多くの科目を受講したが、実に運良く全科目の単位認定試験は合格できた。この時の経験から、同じ様な科目を受講すべきと感じた。健康や医療に関しては、その基礎部分が同じなので1科目をシッカリと受講すると、他にも通じることが多かった。
どうでも良いことなのだが、『新しい日本語』と『日本語学入門』の予定科目以外に、『貧困の諸相(’23)』と『高齢期を支える(’23)ー高齢者が社会を支える時代に向けー』も受けたいのだが・・・受けたい面接授業も多くて。今回は年初から保護猫2匹の予防接種2回分と去勢手術で7万円以上も使ってしまった。わずかな年金のみの生活では、この出費はかなり大きい・・・ので、迷ってる。預貯金無しの身では、親として子どもに己の欲望を無心するのも気が引けてしまう者だ。まあ、放送大学の学びも高齢者の遊びと、卒業は考えていないのだから今回は諦めなければ。
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