『食と健康(’18)』読み返したが・・・

来週は心臓の検査がある。散歩中に息苦しさを感じてるので、またもや造影検査などの精密検査になるかも。そしてステント治療かな。3回のステントで、その後2年以上生きた知人を知らない。いよいよアウト、かな。

「遺言書」『エンディングノート』「尊厳死の宣言書」も用意はしたが、まだこの世に未練があるのか、この期に及んで・・・、前回に注意された食事療法を思い出し、『食と健康』を開いてみたが・・・。

今年3月の、2回目のステント治療の後に、食についての栄養指導を受けた。

もう40年も前になるが、中国医学を勉強していた時期がある。鍼灸学・漢方薬・中医伝統食餌療法(薬膳料理)や『黄帝内経・素問霊枢』なども読んでた。その派生として、女子栄養大学の「栄養と料理講座」を受けて、一般講座(基礎講座)・専門講座専門職業コースを履修し、調理師試験を受けて調理師資格も取得した。中医学を勉強するグループで、総合病院の管理栄養士のトップから直に栄養学についても、薬膳と絡めて学んだ。2人の子育て中の朝晩の食事や弁当など、学んだとおりに実践して、それなりの成果は有ったと思う。

退院後に実践してみたが・・・、まずは体重が全く減らない。病院食と同じように薄味にしてるのに。検査を間近に控え、まだ96kgもある。自分自身の事となると、随分と甘くなるようだ。

10月からの2学期開始まで時間が有るので『食と健康』を読んではみたが・・・。

この科目『食と健康』が今まで受講した中で、もっとも難しい。何度読んでも中途半端な理解しかできていない。よくぞこの程度の理解でA評価が得られたと思う。放送大学の面白いところは、科目内容が難しいほど試験はそれほどでも無いと感じることかな。

このテキストを栄養士の娘に見せたら、当然この内容は勉強したそうで、難しく考えない方が良いと言われた。難しくなど考えてもいない。考えようもない。何度読み返しても、放送授業を視聴しても、ただただ難しい。

単なる成長や健康のための栄養ではなく、どの栄養をどの様に取ればどんな効果として現れるか、免疫力を高め生活習慣病にも堪えられるか、など。仕事上での食育や、家庭での料理や栄養の摂り方指導など、この『食と健康』の内容を学んだことは役に立ってる、そうだ。

ところが、全く分からない。栄養指導とか食事の指導とか、まずそのような職に就くことなど絶対にない。

どうにも『食と健康』が理解できないと思うと、むかし聞いた話を思い出す。

幕末だか明治の初め頃だか、外国人家族の家で日本人が下男として働いていた。もともと大きなお屋敷に手紙を運ぶ仕事をしていたらしい。武家屋敷には表札もなく、男は江戸中の地理と足の速さで知られていたそうだ。現役を退いて外国人宅で家の周りの掃除や買い物、手紙の配達などの連絡をしていた。

ある日、日光にいる人に手紙を届けて返事を貰ってくるという用事が出来た。まだ郵便配達も整っていないし、電話などもない。それを耳にした下男が「日光なら昔行ったことがあるので行きましょう」と言うので頼んでみた。

道程として約100kmは超えていた。数日かかると思っていたところ、翌日の夜に戻ってきた。何と下男は馬も使わずに、自分の足だけで走って行ってきたという。もう一度日光行きを頼み、手紙の内容は本当に走ってきたのかを確かめて欲しいと書いたそうだ。結果、やはり足だけで走り、2日間で戻ってきた。

下男の食事は少しだけ搗いた米と、味噌と梅干しや塩漬け野菜くらいだった。このような食事なので、日本人は背が低く長生きしないのだろう。でも尋常でない脚力に、自分達のような欧米人と同じ食事にしたら、どのくらい早くなるだろうかと試したくなった。1ヶ月間くらい自分達と同じ肉食にして、また日光に走らせた。下男は途中で疲れて動けなくなったそうだ。さらに日常の生活でも疲れやすくなり、元の生活に戻したいので、四つ足を喰うのは許して下さいと言ったそうだ。

で・・・、3月の退院後からは七分搗きの、玄米よりも少し色の白い米に雑穀を混ぜて炊き、むかしの田舎の清貧の食事内容を思い出し、真似てはいるのだが。その反動は大きくて、夜はご飯抜きで、プリン体の少ない発泡酒を、焼き肉とか餃子を食べながら飲んでしまう、毎日ではないが。

その下男のように走るのはおろか、歩くだけで息苦しくなってしまう。ただ、下男よりも寿命だけは延びてるようだが。

入院が決まったら、決まらなくても、どこか山奥の秘湯に行こうかな。歩けるうちに、自分の足でどこかに行きたい。

ありがたいことに、悪いのは心臓と腎臓だけ、他に問題もないのでポックリ・・・かな。

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