パチンコ依存症は治療不可

この歳になって、時々思い出す。あの時に追分道を間違えたと気付いたのに、なぜ引き返さなかったのか。友人達や親族の意見は、皆同じ事態を心配してなら、それは正しい。ヒトの生き方も歩く道も、間違えたら引かなければいけない。何となく流されてた、では済まされない・・・。

失われた40年間は、多くのチャンスや信頼や金銭よりも、比較にならないほど大きい。我が身の失敗から起きた事では無いだけに、もっとも大事な人生の、あらゆる可能性さえも失ったという無念さは諦めきれない。

散歩中に、フッと川を見ると遠くに、2匹の白鷺がいた。

去年の今頃は、毎日やせた白鷺が1羽で石の上にいた。近くには数羽の青鷺やカワウがいて、白鷺に寄り添っているように見えた。今年は数回、白鷺の家族らしい4羽が来ていた。今朝は2羽が仲良く寄り添っていた。あれは去年の白鷺が家族を持ち、子供達2羽が巣立って、夫婦だけの生活になったのだろう。

なかなか水には入れなかった1羽の白鷺に、友人の青鷺とカワウ、それぞれが数羽の群れで近くに来ては、流れの中で小魚を捕って見せていたようだ。今年の白鷺は夫婦で魚を捕らえ、近くにいる友人同士との付き合いも上手くいってるようだ。

動物は伴侶を得て次世代への子孫を残す。寿命の尽きるまで懸命に生き、子供を産み育てる。それに比べ、時として人間は自分自身の問題から、酒や薬物や賭博などの依存症となり、生き物としての重要な役目を放棄する。ネグレクトなどと簡単な表現では済まされない。

ヒトは時として不条理なことやストレッサーから、そして自身のパーソナリティ傾向からも、酒・たばこ・覚醒剤・競輪競馬競艇などへの逃げ道を作るようだ。その中でも更正の極めて難しいのはパチンコだ。

人間の世代モデルとして、成長期・生殖期・後生殖期の世代モデルというのがある。ヒトとして成長を終えて次世代を生み育てる時に、わずかな金額で始めたパチンコが、やがて休日に通うようになり、しだいに依存症となる。自分自身のセルフケアも出来なくなり、育児怠慢から育児放棄というネグレクトへと繋がる。

若い時の友人が沼(競艇)にはまり、親が苦労していたが、大損を繰り返してるうちに、家庭を持つことの責任から、しだいに離れた。依存症になり、入院して更正した者もいた。アルコール依存症も入院で治ったとも聞いた。ところが、パチンコ依存症だけは治らない。依存症にならなくても、休日のパチンコ代や時間の浪費を考えれば、とんでもないムダなことだ。

親としての養育義務を怠り、最低限の躾や常識さえ教えられない。後生殖期に入り、現役から離れて成長期の子供に対する、養育の援助どころか自由な時間と年金受給から本格的な依存症になっていく。多くが栄養失調や心身の機能低下、やがて器質的な脳の異常が現れてくる。家族や親族だけではなく、近所の人達にも妄想や鬱症状による迷惑行為が現れてくる。もっとも大きな影響は子供で、パーソナリティ傾向として受け継がれてるように見える。

精神医学を専門とする医師や研究者でさえ、パチンコ依存症の治療で成功したというのを聞いた事がない。成功例が無いからだろうか、専門の治療施設もないし、研究書も無い。放送大学の授業科目『今日のメンタルヘルス』や『精神疾患とその治療』でさえ、せいぜい「パチンコやギャンブルなどの行為に夢中になって止められないのも依存症であり、行為依存と呼ばれる。」(『精神疾患とその治療』p169)とあるだけだ。

同情や憐憫などは、何の役にも立たない。近付いてはいけない。世の中から排除されなければならない。「死んでしまう」「死んでやる」は、言うだけで実行できた者はいない。

橋の上を散歩してて見える、向こうの山の端にかつて旧家があった。資産家であり、若い時からパチンコにのめり込んでた息子が一人だけいた。勘当されてたが、親の死亡後に数億という遺産を受け継ぎ、けっきょく親戚の忠言も聞かずにパチンコ通いを続け、数年で土地家屋を失い、どこかへ消えた。

友人の一人に、20代からパチンコに夢中になり、仕事は解雇され、空き缶を拾っては暮らすようになった。空き缶の代金でさえパチンコに使い、身体が臭くなり、馴染みの店で出入り禁止となった。友人達数人で生活費の援助をしていたのが仇となり、しだいに栄養失調から認知症のようになり、突然いなくなった。一切の援助をせずに、早くから栄養失調で倒れていたら、あるいは更正できていたかもしれない。

依存症は、パチンコ依存症は絶対に助けてはいけない。死ななければ治らない病気であり、同情をするなら一切の関わりを絶つことだ。

白鷺や青鷺、カワウや何種もの鳥たちの、あの自立した生き方は、依存症を断ち切れない連中に比べたら、はるかに気高い「生」を謳歌してるように見える。

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