お盆も過ぎた。今年もコロナで誰も来ないお盆だった。この、コロナウイルスによる人との接し方にも慣れてきた。

2年間、盆正月に集まることが無くなり、親戚の葬儀でさえ簡素になりお清めの席もなくなった。慣れてしまえば、一人暮らしの身には楽でもある。高齢者の一人暮らしは、慣れた日常のままに過ごせれば良いのだが、人との付き合いが時には苦痛に感じる。独居老人が頑固で付き合いにくいと感じていたが、自分自身が独居老人になるとその心境が良く分かる。

高齢者になると、自分自身の身体でさえ思い通りにならない。腰が痛い膝が痛い、思いついても直ぐに動けない。その歯がゆさは、今の状況にならなければ解らなかった。
今の唯一の楽しみ、楽しみではないが、することといえば放送大学だけになった。学位が欲しいわけではなく、学ぶ目的もハッキリしないが、身体が動かなくなったぶん常にろくでもないことばかり考えつく。全く現状と違うことをすることで自身をごまかせる。何とも情けない、寂しい生き方かもしれない。

近くの運動公園へ早朝の散歩にでかけ、日常から離れた空想の世界に入る。この空想の世界が、日常になってきたようだ。顔なじみになった人とは挨拶はするが、できるだけ一人だけになり、毎回同じ道を歩きながらも、毎回違う空想の世界に入る。
食べることも、起きることも寝ることも、呼吸をすることさえ時には煩わしくなる。今歩いてる道が北欧の深い森なら、このまま進んで疲れたら木の根に腰掛けて休み、そのまま息が絶えたらと思う。それをセルフネグレクトというようだが、それは学問の世界での話であり、高齢での一人暮らしをしてる者でなければ理解できないだろう。
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