「貧困」ということから

まだ夜中の2時に、猫達によって起こされてしまった。

2ヶ月半で2匹とも大き育ち、暴れ方も半端ない。寝られずに、2学期から受講予定の『人間にとって貧困とは何か』を聞いた。「貧困」というよりも、今まで生きてきた70有余年間の出来事を思い出し、人生の成功や失敗とか「貧困」とか、それらを超えた何かを考えてしまった。

6時から散歩に出た。いつもの通り、この時間帯は高齢者も多く、みなジイさんバアさんで、人生で成功したのか失敗したのかは解らない。誰にも平等に訪れるのが「老い」と「死」のようだ。

約70年間の中で知り合った人の中に、黙って消えた者や自死を選んだ者も居た。大戦での戦災を免れ、伝統産業は日本の復興に尽くし、朝鮮半島特需で鉄工関係の会社も伸びた。我が市も数十年前まで盛んで有ったのも、それらのお陰だろう。

一時的だが成功し、やがて消えていった。「金の卵」などともてはやされ、その期待に応えようと都会で努力をしたが、しだいに都会での成功も得られずに連絡もできなくなった。

一人他人の飯も食わず、ただボーッと現在まで生きてきたことに、生きられたことに感謝をしたい。いろいろと有ったが、許せる歳まで生きられたということかな。

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