『伊豆の踊子』日本語リテラシー|放送大学

「日本語リテラシー(’21)」第7回日本語との付き合い方③で、「は」と「が」の使い方で、川端康成の『伊豆の踊子』が取り上げられてた。手元の文庫本もソニーのe-bookでも原作の通り。気になるので書店で見ても、川端康成全集を見ても、書き換えられてなかった。

『伊豆の踊子』は、今の孫娘のように、喰うように本を読んでいたのを、何を喰うのかを選ぶ切欠になった作品だ。書き換えなどしなくても、踊子のしぐさと心情が痛いほど感じられる。二人の旅での淡い想いが、この数行に踊子の強い想いとして現れ、後の学生の気持ちの変化が引き立たされてる。

いつかは踊子と同じ道順で、伊豆旅行をしたいものだと思ってた。そんな願いを60年以上も懐きながら、ついぞその機会は訪れなかった。いつかはいつかは、という思いで頑張ってきた。自営では時間が有りそうで、自由にはならない。一人になり、自由になり、何でも出来そうで、その時には身体を壊し、行動力も失せてしまってる。いつかは、いつまでもやって来ない。

本当にやりたい事が有るなら、周りの気兼ねなどせず、思いのままに行動すべきだった。行きたいと思ったら、行けば良い。好きな人がいたなら、ハッキリと言葉で言えば良かった。何も出来なかったことを、この歳になって悔やむなら、行動して悔やむべきだった。周囲の目とか世間体とか、結局は自分自身の弱さだけだ。

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