柄にも無く、早朝からショパンの「バラード」を聞いてる。本当に柄でも無く、妙に涙が出てくる。同じ曲なのに、この人のピアノの音を聞いてると、感情の激しさを感じる。
子供の頃の楽しかったこと、自営で苦しんだ時のこと、知人の自死を選んだとの悲報を聞いたときのこと、もっとも信頼すべき大切な人の死後に裏切られていたかもしれないと知ったときのこと・・・。老いて全てが遠い別の物語に思え、孤独の生活また良いものだと楽しめて居たのに、最後の友人であるキーとの別れなど。
温泉で湯治と転地療法を行っても、行く先も決めない旅に出ても、すでの届いた放送大学の教材を目にしても、何も手に付かない。嫌いだった散歩に行くのも、あまり人の通らない小道を歩くのも、時々このまま羽根でも生えて別世界に飛んで逝きたいものだと思うから。
楽しかった事や夢を抱いていた頃、様々な失敗や苦しんだ事、今は居ない多くの人達の思い出が浮かび、後ろに感じるのは姿の見えないキーの気配。
外は雨。今日は台風が近づくそうだ。久し振りにレコード店、レコードが珍しくなった今は何というのだろうか、この人のショパンのCDを探しに行こう。
ピアノの音が溜まったオリを押し流し、魂の浄化、というと大げさだが、少しの間だけでも生きてる感になれるようだ。
コメントを残す