最後の家族との別れ

8年前の63歳になる春、36年間を共に過ごした妻が逝き、当時9年になる茶トラ白のオス猫1匹との暮らしになった。

同居猫の名前は「キータン」というが、それは動物病院での呼び名で、家では「キー」と呼んでた。

今から17年前に、キーは紙袋に入れられ、捨てられた。それを妻の友人が見つけ、2週間の入院治療を受けさせ、我が家に来た。入院前は、目はヤニで塞がれ、鼻は血と膿で呼吸困難であったと聞いた。股関節脱臼と大腿骨骨折もあって、完全には治らなかった。

我が家に来ても、物陰で「キー」と泣くばかりで寄りつこうとしなかった。その鳴き声と背中の黄色で、キーと呼ぶようになった。臆病で泣き虫で、耳ばかり大きな見た目の悪い子猫だったが、妻は多額の入院治療費でペットショップの猫よりも高いと言って笑ってた。人への恐怖心が強く、しだいに誰からも相手にされなくなり、家の中での存在感も消えてしまった。

妻の肺癌末期が見つかり、最期を迎えるまでの10ヶ月間を病院で過ごした。既に自営は辞めていて、個室でもあったので、夜も泊まって介護できた。家には時々しか戻らず、キーは確かに居たはずなのに、不思議なくらい記憶に無い。

妻の葬儀が滞りなく済み、四十九日法要が過ぎると、私は疲れからか半年近くも寝込んでしまった。もう起きる気力も失せていた。大きなイビキで気が付いたのだが、キーが布団の近くで寝るようになっていた。目が合っても逃げず、時にはおどけて見せた。9年間も居て、それは初めて見る仕草だった。

キーと遊び、外にも出られるようになり、人の勧めで会社勤めを始めた。毎日の食事を作り、キーと話をしながら食べ、夜はキーのイビキを聞きながら寝入る。それが極めて当たり前な日常になっていた。

趣味の研究発表会で、5日間の旅行に行った事があった。家に戻ると、薄暗くなった玄関の前にキーが座っていた。気付くとお腹の横が、大きく毛が抜けている。動物病院で診てもらうと、心因性の皮膚炎で簡単に治らないと言われた。特に薬も無く、塗ってもなめてしまうとの事だった。もう餌だけでは生きられなくなったのかな。この5日間は私も同じで、イビキが聞けずに、ずっと熟睡が出来なかった。

皮膚炎は、毎晩抱きしめて寝て、なめさせないようにした。家に居る時は抱いて遊び、なめる事を止めて、少しずつ治ってきた。

猫の16年は、人間の年齢に換算すると80歳になるそうだ。いつの間にか、私よりも10歳も歳を追い越して、一緒に充分な老人になっていたようだ。

去年、70歳を前に退職した。契約社員なので、年齢に関係は無いらしく、慰留され嬉しくも感じたが、それ以上にキーとの生活が大切の思われた。共に寄り添い、あと何年暮らせるのか分からない。年齢を実感した時に、たかが猫1匹だが、最後の大切な家族になっていた。

コロナの影響もあり、1年間は全く離れる事も無く静かに暮らした。

8月の終わり頃、暑いのに抱き付いてきて離れようとしなかった。抱くと顔を胸にこすりつけ、顎の下に頭を入れてグリグリとしてきた。急に赤ちゃん返りをしたようで、1日中抱いて過ごした。2日間ほどそれが続いた夜中に、いつの間にか外に出ていなくなってしまった。近所を探し、木々の下や草むらの中を探したが、見つからなかった。

あの2日間は、別れの挨拶だったのだろうか。我が家に来て17年間、キーは幸せだったのだろうか。自らの最期を悟り、人目に付かない河原に行ったのなら、何とも悲しい。最後の最期まで側に居て、看取らせて欲しかった。未だにキーはどこか具合が悪かったのだろうか、痛みはあったのだろうかと、忘れる事が出来ない。

もうキーに一度会いたい。姿は見えないが、今でもキーのイビキや、コツンコツンと足を引きずるような歩く音がする。

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