コロナだけが悪いわけでは無いが、去年の世界的なコロナウイルスのパンデミックのために、日本でも強制力も無いのに、ヒトの行動規制が様々な形でせまられた。その結果、家から出る機会も減ってしまった。こんな生活の、惰性に慣れると、毎日が楽で時間の流れも忘れてしまう。
元々が群れるのが嫌いで、ヒトの中には入りたいとも思わないので、全く外に出なくなった。何とか放送大学の入学をきっかけに、ある程度は規則正しい時間を送っていられた。それも半年もすると慣れてしまい、次第に自堕落な生活に成ってくる。
歩く機会が無くなると、次第に歩けなくなる事を知った。余り考えなくなると、考える事を避けるように成る。本能なのか、食う事と寝る事、トイレに行く事だけはとりあえず動ける。食う事といっても、以前のように作る事も面倒に成って、最近は頑張っても魚を焼く程度になってきた。痩せるためとはいいながら、夕飯は抜きにして、夜は味付け肉を焼いて飲んでる。
長く共に暮らしてきた猫がいなくなると、さらに生活は乱れてくるようだ。一日の時間の規則性が無くなり、何よりも生き甲斐も無くなってくる。食べる事さえも面倒に成ってくる。人と会っても、話が続かない。一日中話をしないと、話せなくなる事が分かった。例え猫との会話でも、全く話さなくなると、声の出し方さえ忘れるようだ。
生きていても、生きる目的も喜びも無いが、生きるとか死ぬとか、そういう事さえも煩わしくなる。
二人の子供を育てるために、弁当を作り、学費を工面し、頭を下げて仕事をしてたときが、人としての生き甲斐がもっとも有ったように感じる。あれほど嫌で、早く抜け出したいと思っていたのに。最後に残された猫さえいなくなると、余りにも楽すぎて、何も考える事も無くなり、することも無くなってくる。
自由になったらやりたい事が幾らでもあったのに、一人暮らしになり本当の自由になったら、何も出来ない、する気が無くなってくる。生きるとか死ぬとかいう感覚も薄れてくるようだ。
唯一選べる事の出来るのは、高血圧と冠動脈狭窄がある事かな。一人暮らしには都合の良い事に、自分の選択で寝たきりに成るのを回避できる。実に都合が良い事に、数日間続く雨で寝たままでいられる。この雨がいつまでも、年々でも続けばいい。
ただ、17年間も横にいたキーを想うと、この冷たい雨に打たれて・・・、それだけが寝て過ごす事が心苦しい。
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