猫の「お弔い」という行動

猫は自分の最期を感じると、人目につかない場所に行き、息を引き取るそうだ。

養老先生のまるちゃんも、先生の不在中に木の陰で息を引き取っていたそうだ。我が家のキータンも、既に3週間以上も経つのに戻ってこない。近所を探してもいないし、車との事故を考えたが起きていない。ただ、近くには猫が集会を開いていたところがある。そこは猫がお弔いをするところと聞いていた。キータンが子猫の時に、先住猫のミー子に連れられて何回か出席した事があった。

まだキータンが1歳か2歳の頃、ミー子は15歳以上になっていただろう。当時は野良猫も数匹いたし、飼い猫も自由に外に出ていた。時には家の中まで上がり込み、家の中に数匹の猫が寝てる事もあった。次第に数が減ったのは、野良猫を捕まえては去勢をしてリリースする人がいた事や、近所の人達の高齢化で動物は飼わなくなってきた。散歩の共として小型犬を飼うくらいになった。

キータンは腰が悪くて、外で自由にさせてても、遠くに出掛ける事などなかった。ある日、2匹が揃って帰らない事があった。翌朝に何も無かったように帰ってきて、餌を食べるとミー子は寝て、キーは外で遊び始めた。

数ヶ月してまたいなくなり、周辺を探したら、コンビニで面白い話を聞いた。

猫は自分の死期を感じると、人目を避けて閑かな木陰で休み、そのまま死を迎えるという。その時に野良猫などが集まり、例え喧嘩をしてた仲でも、死を迎えるまで近くに集まり見送るそうだ。

言われるままに近くの橋の下を覗くと、猫が集会を開いていた。みな静かに座ったままで、その中にミー子とキーも寄り添うようにいたが、声を掛けるような雰囲気ではなかった。一斉に気配を感じてこちらを向いたが、すぐに元の姿勢に戻り、そのまま動こうとしなかった。

最近は猫の集会も聞かなくなり、猫もほとんど見かけなくなった。子供の頃に見た仲間の「お弔い」を思い出し、今度は誰にも見送られる事なく、河原の林の中に入っていったのだろうか。足や腰の悪いキータンにとって、ましてや17歳というのに随分と老いてしまい、ベッドにさえ上がれなくなったのに、橋まで歩けるであろうか。直線なら100mも無い距離で河原に出られる。もしここまで家の間を抜けて来ても、この土手の坂は降りるのが大変だったろう。

この林の中を毎日覗くが、全く見当たらない。

いつも離れる事なく一緒に過ごしてきた。今年の始めに、3ヶ所に冠状動脈狭窄が見つかり、1ヶ所に6cmのステント治療をした。11月に再度入院検査がある。決して良い状態ではなく、食事療法と運動療法、心臓リハビリを勧められた。投薬治療も、糖尿病や慢性腎臓病など、全く無縁と思っていた治療まで始まってしまった。独居老人と猫1匹の生活になったときから、もう覚悟は決めていた。薬は飲んでも、無理に生きようと思わない。

もしもの時には、キータンは娘の家に引き取られる事になっていた。キータンが先ならば、最期まで共に同じ時間を過ごそうと約束をしてたのに。突然姿を消されると、どの様に解釈して良いのか分からなくなる。キータンにとって、我が家は良い家庭だったのだろうか。この家で過ごして幸せだったのだろうかと、毎日考えてしまう。

家を出てしまう前の2日間、うるさいくらいにまとわりつき、抱きついてきて頭や頬をこすりつけてきた。水飲み場ではジッと天井を眺め、子猫の時の猫タワーのある2階に上がって、足が悪いのに一番上で横になっていた。今から思えば最後の別れを覚悟していたのだろうか。死の覚悟というよりも、何か苦しくて助けを求めていたのだろうか。

猫には住んでいた家を懐かしむ感情や、他の猫を弔うなどという行動など考えられない。

本当に猫にも人間のような共に過ごして欲しかった。共に過ごして欲しかった。ミー子は20年と半年生きて、1ヶ月の入院の後に家に戻り、家族とキータンに見守られながら、最後はこの手の上に頭を乗せて息を引き取った。キーも2日間、いつもミー子の横で過ごしていたのに、いつの間にか姿を消してしまった。

優しい家で幸せに暮らしてれば良いのだが。

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