夏炉冬扇|無用の長物

夏炉冬扇(かろとうせん)とは無用の長物とか、季節外れのムダな物の例えとして使われる。

他の意味としては、実用的では無いような言論や才能・技能、捨てられた女性や寵愛を失った宮女に対しても使うらしい。才能技能にムダは無いし、まして女性に対して使う言葉としては不適当と思うが。

その意味というよりも、現状の生活がまさに「夏炉冬扇」そのものに成ってしまった。連日35度を超える真夏日が続き、エアコン無しでは過ごせないのに、未だに冬のコタツを片付けてない。洗濯物は家の中に干したままで、冬物が干したままになってる。物の例えでは無く「夏炉冬扇」そのものの生活をしてる。

妻の実家近くに、義母の姉が一人暮らしをしていた。80歳近い年齢で、足が悪くて買い物に行けない。時々アッシーを頼まれたが、家の中に入るのが嫌だった。1年中コタツが出てて、そこで寝起きして1日中を過ごしてるから、食べ物のゴミや、何よりも臭くて気持ちが悪かった。近所の友達もほとんど来なくなったというが、この状況では仕方ないと思われた。

大きな家なのに、一人暮らしになってからは玄関を入ってすぐの6畳間と、そこに続く台所だけが生活空間になっていた。冷蔵庫は詰めるだけ詰め込み、ドアが閉まらないのでピーピー鳴ったままだ。近所の友達が来たときに部屋の隅に目をやると、ネズミが一緒に食べていたそうだ。もともと掃除洗濯が嫌いで、家庭的とは言えない人だったそうだ。きれい好きで神経質な夫が亡くなると、一人暮らしになり本性が現れた。掃除洗濯の必要も無くなると、いくら金があっても着の身着のまま片付けもしない家は、見ただけで気持ち悪い。

いま自分自身が一人暮らしになると、あれほど嫌っていた人と同じようになってくる。自分なりに合理的な生活のつもりだったのに、時間の経過と共に洗濯物が増え、洗濯物というよりも干したままの状態が増えてきて、暖房器具の片付けも面倒になる。昨年のコロナ騒動以前は、盆正月には親戚が集まり、孫達を連れて娘も来ていた。コロナで人との交流が途絶えると、必要最小限度の事だけで済まそうとする。ムダの無い合理的な生活と思っていたが、それが普通になると、あの不潔と嫌っていた婆さんと同じになるとは。

父方の親戚は、一人暮らしになっても片付けられた家で、悠々自適に絵画や刺繍や旅行にと老後を楽しんでる。元々が大きな農家を本家として、親族間のつながりが強かった。昔の大家族主義がそのまま残っている。若いときは面倒と思っていた付き合いが、日常の掃除洗濯や買い物や調理が、意外なほど健康には良いのかもしれない。叔母達は80歳を超えてもかくしゃくとしてるし、頭の衰えも無い。絶えず近所の人や親戚の者が訪ねてくるので、家の中も綺麗にされてる。

コロナが無ければ、今頃は親戚中にこの家の状況が知れ渡り、子供の頃に子守をしてくれた叔母などは、毎日掃除に来てるだろう。あの煩わしさが懐かしいと共に、一人暮らしには家事労働は大事な運動なのかもしれない。身体の節々が痛み、肥満になって、日常生活をこなしてる女性の強さが実感できる。

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