早朝、4時には目が覚めて散歩に出掛けた。ドンヨリと雲が降りて、肌寒さが、気持ちの良い時間帯だ。今朝は早かったのか、散歩をする高齢者も少ない。それでも数人がジョギングや、犬を連れての散歩をしていた。
早朝の高齢者の散歩を、それなりのスポーツ着に着替えたジョギングなどを見ると、年寄りの冷や水、などと内心バカにしていた。10年前なら、こんな早くから散歩などしやしない。最近は1週間も外に出ないと、本当に動けなくなってしまう。自転車でさえ、子供をハンドルに付けた椅子に座らせて、夜泣きのたびに乗り出していたのに・・・。橋の両端に続く坂道さえ、乗ったまま橋に行けなくなった。身体の小さなお婆ちゃんや、高校生などは平らな道を走るように普通に乗ってるのに。コロナ禍で、高齢者のフレイルが始まってると感じる。動けなくなったら寝たきりでも良い、などと思っていたが、、独居老人となるとそうも行かない。

散歩の唯一の楽しみが、遠くに見る生まれた故郷だ。ご先祖様がこの地に呼ばれて来て、もう900年は経つだろう。同じ土地に幾世代も続けて住んでると、いわゆるDNAに深く刻まれるのだろう、遠くに見る故郷の山々は懐かしく、思い出も多く、いつかはあそこに住みたいと思う。
祖父と菩提寺の僧侶から多くを学び、その教えが今の自分自身の生きる知恵となり、今日まで生き存えられたと感謝している。わずかに小学校高学年までの10年間に教えられた事が、70を過ぎた現在までの生き方を変えてしまった。
菩提寺の住職は、その後2代も替わった。あの時の住職は、仏様になって幸せな暮らしが出来るなどと言っていた。スクーターで田舎道を走り回り、葬儀では良く酒を飲んでいた。そんな住職から仏教を教えられたときに、本当は普通の人よりも仏様に近いはずのお坊さんが、爺達よりも仏様から離れてると言ったことがあった。大声で笑い出し、その後に何を教えられ、何を学んだのだろうか。
爺達と同じように、あの山の土となり水になり、次の草木の中に命を繋ぎ、いつか次の世代の命にまで繋がっていきたいものだ。
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