卑しい我利私欲

久し振りに某工場跡の前を通った。雑草は刈られて、高圧線もそのまま繋がってた。外からの見た目は、いつでも使える状態のようだ。ときどき工場の持ち主が来てるそうだ。

この工場を見るたびに思うのは、母親の愛情なのか、単なる金銭欲なのか、人の生き方の不思議を感じさせる。そして「順天者存逆天者亡(天に順う者は存し、天に逆らう者は亡す)」という、孟子の言葉を思い出す。いや、それ以上に人の卑しさを想う。

この工場の持ち主は、50代にして土地を購入し、精密部品の工場を経営し始めた。まじめで技術もあり、詳しくは聞いてないが、勤めていた会社の下請けとして独立した。経営状態は上手くいき、親の家計の窮状をみて、父親を共同経営者として迎えた。両親と弟が居たが、弟は仕事が嫌いで長続きしないようだった。父親は会社勤めで真面目だと聞いてる。母親は不真面目でろくに仕事もしない弟を、小さいときから可愛がっていた。

父親が亡くなった後、遺産相続の問題が起きた。遺産といっても親には小さな家しか無く、彼はそんな物は必要としてなかった。問題は母親の主張で、父親が共同経営者なのだから、会社の半分をよこせというのだ。嫌なら土地と工場の賃貸として、毎月50万を支払えという。共同経営者といっても、土地と工場の名義は彼のもので、ろくでなしの弟と一緒に暮らしてる親のためにと技術も何も無い父親を共同経営者として、高給を支払っていただけなのに。

1年間近くもめて騒いでいたが、事情を知る人の紹介で別の土地へ移転した。法的には100%彼に分があったが、黙って工場の移転をした事で、母親と弟は全く収入源を失った。まだ母親は元気だと聞いた。あいかわらず土地と工場は彼の名義であり、弟たちも手が出せない。おとなしそうだが、時期が来ればそれなりの手は打つだろう。今は母親と弟はわずかなパート収入で暮らし、頭を下げてきてるようだが、応じてないようだ。

同じ親子兄弟でも、小さい頃から溺愛されていた子がろくでなしになり、母親から無視をされていた子が努力をして伸びる。欲をかかなければ楽に暮らして行けたのに、おとなしい事を良い事に、欲をかきすぎると何もかも失ってしまう。母親の愛情も不思議だ、なぜ偏在し、時には醜い卑しさが出てしまうものなのか。

あの工場跡を見るたびに、人の道に外れると怖い事になる、お天道様は見てるという事は、本当のように思えてくる。我利私欲が表に立つと、人の品性などというものは簡単に消えてしまうもののようだ。

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