人の命は永遠か自然の一部か

人の生き方は、人の一生は自然の一部なのか、輪廻転生を繰り返すものなのか、仏様と共に続く命になるのか、別にどうでも良い事を考える事が多くなった。これも幼い頃の影響なのかもしれない。長生きは出来ないという事で、死に向かう宗教的な事を教えられたのかもしれない。

 

生まれたときに呼吸をしてなかったそうだ。祖父と父の対応処置で息を吹き返したが、普通の子供よりも体力は劣っていたようだ。産婆が帰るときに「この子は長くは生きられない。息を吹き返さなかった方が幸せだった」と言ったそうだ。元軍医だった父も、知人を頼って何度も検査したが、少し歩くと息苦しくなり立っていられなくなり、足や身体の関節が痛むなど、その原因も分からなかったそうだ。10歳までは難しいのでは無いか、何の根拠で誰が言ったのかは聞いてなかったが、いつの間にか皆がそう思い込んでいた。

父は農家の長男だったが、戦後は農地改革なども有り、弟に農家を任せて、私が3歳の頃に鉄工所として独立した。子守として二人の子が付いて、二人とも我が家から高校まで通い、姉のように慕い今でも付き合いが続いてる。大事に育てられた割には、この頃の記憶は祖父と共に過ごした時間だけだ。

祖父と共に菩提寺で真言宗を、仏教や空海の教えを聞かされた。大日様と同じ心に近づこうとする心を持ち、多くの人のために動く身体と、多くの人を導く教えの言葉を守り伝える。自分自身の心を常に見つめ、教えに比べて正か悪か反省し、自分自身の生き方を大事にしながら、自分のためにも他人のためにも教えを行う。人としての行動や守るべき事など、細々とした事も聞かされた。その命は、いつまでも仏と共に存在し続けるという、大日様と共に続く永遠の生命、で有ったように記憶している。

祖父からは家伝の古神道を学んだ。祖父代々の家は、古神道を継承していたそうだ。源義国公とわずかな縁があり、今の地に呼ばれたときに古神道の易占で占い、多くの書物と親族と身近な郎党の、わずかな輩と共に移住してきた。多くの一族郎党は、未開の東国移住を嫌って都に残ったそうだ。易占の結果は「東国は吉、残るは亡ぶ」と出たと聞いた。果たしてその後、いわゆる「源平の戦い」が起きた。

代々、年に数回の当主だけが行う祈りの行事、大切な祭祀行事も守り続けられてきた。口伝とか一子相伝とかいう、最も大切な祭祀を夜通し祖父と二人だけで過ごし行い、毎回同じ様な話、我が家の伝説や歴史を聞かされた。祖父の夜通し続く様々な祝詞を聞いてると、一種のトランス状態になるというのか、あるいは寝てしまって夢を見たのか、多くのご先祖様達が後ろに並び、前には燃える火を切りながらの舞も見た。火を切った剣が、最後に渡される、そんな夢だが鮮明に覚えてる。その剣は、一族に伝わる大岩も切り裂く大切な剣だと言われた。

そんな話をしても、祖父はニコニコしてるだけで、神道への信仰心はあまり感じられなかった。神仏に対する信仰心が薄いから、親しかった菩提寺の住職に教育を任せていたのだろう。それでも多くの書を読むのが好きだったようで、戦前には伝えられた農業書や天候に関する事、古神道での兵法書を読んでいたそうだ。祖父からは兵法を教えられ、その解釈から人の生き方を教えられた。菩提寺の住職とは違い、人の生活も行動も、善も悪も無く、全てが自然の一部でしか無い、そういう考え方だったように思う。仏教よりも、うたた寝の中で多くのご先祖様と、ハッキリとお目にかかってから、古神道の考え方が納得が行けた。

人は死ぬとどうなるのかという問に対し、住職は教えの通りに生きれば大日様に近づき、永遠の命として共にある、というような事だった。祖父の教えでは、死は今の身が水になり土に戻り空気になる、と言ってた。兵法とその解釈を通して人としての生き方を学び、祖父の教えが今の自分の全てを作ってる。

山の中に入り、落ち葉に身体の全てを埋もれながら静かにしてると、小さな虫の動きが分かるようになる。蟻よりも小さな虫でさえ、生きてるという事を、死ぬまで毎日、同じ事を繰り返している。その事に疑問など抱かない。その死骸は水となり土に戻り、草木や虫や動物や人へと、次の命へ繋がれていく。

落ち葉をかき分けて、土の中からわずかに出てる石に耳を付けると、小川の流れる音がする。冬も夏も、土の下の水の流れは変わらず、人や生き物のために流れ続け、水の流れは表に現れ、小川になり大きな川へと流れていく。雨が木や草や生き物の命を受け止めて、一緒に水の流れになり、多くの命を育てる。

大きな木の幹に耳を付けると、木の中からわずかに水の流れが聞こえる。木も人と同じように、土や水に助けられ養われて生きている。毎年枯れる草も、何百年も生き続ける大きな木も、人の命と変わらない。短命であっても、長生きをしようが、時間の長さではない、共に同じように水や土や空気に戻り、次の命として生き続ける。

爺と大木に寄り掛かり胡座を組み、半眼半口でゆっくりと呼吸する。次第に空気の流れや様々な匂いや音が感じられる。それは、それぞれに今を生きている生き物の、今の呼吸や音だと聞かされた。生きてる今も死んでからの後も、常に多くのものと一緒にあると教えられた。想いはしばらく残るが、次の木や虫や人の身体となり、次に生きる多くの身体の中に伝えられていくと。

神道行事や考え方、祖父が読んでた古い書からの教えなど、ボンヤリとだが思い出す事が多くなってきた。まだ幼いうちから、山の中で多くの事を、実践を通して教えようとした事は、死の恐怖を感じさせないためだったのかもしれない。死の恐怖、それ以上の多くの事を学べたと感謝してる。

 

自営の鉄工所は弟が継ぎ、経理は妹が担当する。父はそういう事を考えていたようだ。10歳を過ぎても生きてはいたが、体力の無さや病弱は相変わらずで、日常生活は常に母に頼っていた。祖父から3歳の頃から書を学び、古い書物の話を聞いてた影響もあり、就学前から本を読むのが好きだった。父は読書をするのを好まなかった。妹や弟は外交的で、多くの友人が居たが、私には友人知人という者はいなかった。進学に対しても、母は好きな事をと考えていたが、父は虚弱体質をみて手元に置きたかったようだ。その狙いは外れて、妹も弟もそれぞれ東京で就職を決めてしまった。もっとも相応しくなかった自分がとりあえず後を継いだ。20代前半で母を喪い、父はその後次第に意欲を失い、酒に溺れて認知症へとなった。弟は上場企業で意外と早く出世をしてしまい、仕方なしに60歳まで自営を続けた。

いつも両親や多くの親族に守られ、ワガママに育てられたが、思えば70歳を超えた今まで大病も無く生きながらえてきた。70歳になって冠動脈狭窄の労作性狭心症でステント治療をし、入院中に持病の高血圧以外に、糖尿病・慢性腎臓炎・肥満と運動不足などの治療開始を宣告された。独居老人には、運動療法も食事療法もかなりキツい仕事だ。

若い頃から父の名代として、多くの親族の葬儀に参加してきた。その頃には何も思わなかったのに、63の時に妻を末期癌で喪ってから、あらためて人の死について考えるようになった。夫婦仲は義母のパチンコ依存症が原因で、結婚当初から良くは無かった。最後の10ヶ月間、入院時には個室を用意してもらい、昼夜を一緒に過ごした。本当はこの人が好きだと気付いたときには、もう共に生きる事は出来ない。

生まれてから23歳までは、自由気ままに好き放題の生活を続けてきた。母を喪って、突然もっとも予想してなかった自営を1人で継がされ、何となく結婚はしてみたが、妻の実家の問題と、長く続いた不況で悩まされ続けてきた。いま完全に自由になり、仕事からも家庭からも全ての煩いから解放された。気付けば、老後資金も全て消えていた。何もかもが消えていたが、2人の子供はそれぞれ卒業後は学んだ事を活かし、それなりに満足のいく生活をしている事は嬉しい事だ。わずかな年金だけでは難しい生活も、仕送りを得て何となってる。

何もする事が無い、自由に放たれた状態になると、人は生きる意欲も消えてしまうようだ。そして自らの過ぎた生き方を、どうしようも無いほど深く反省してしまう。このまま水になり、土に戻り、空気となって、次の命に引き継がれるとき、それに相応しい生き方や行動をしてきたのだろうか。仏様と共に安寧の永遠の命などは望まないが、死して後、虫や草木に歓迎されるに相応しい命なのだろうか。これからの残された期間、祖父に教えられたような、自然を豊かに生かし、人の中に在って自分と人とを活かす事は出来るのだろうか。背中で見守ってる多くの御先祖様達に、褒めてもらえる生き方とは何なのか。

 

早朝に起きて『高齢期の生活変動と社会的方策』を開いていたら、残り時間をまた考え始めてしまった。消えゆく者には何も要らない。生きてるうちは何の役にも立てないが、せめて死して後は雑草の1本、虫けらの一口の楽しみには成りたいものだ。

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