昨年の3月まで食品会社に勤めていた。女性パートの多い職場で、「老いらくの恋」とか「再婚について」とか、時々そんな話題を振られた。独身(寡夫)生活をよほど楽しんでるように見えたのか、魅力的に見えていたのか。男の欲情、性欲はいつまで有るのだろうか、などと聞かれるのは、物欲しげに見えたのか、まだまだ男の魅力を感じさせていたのか。
女性との付き合いなど面倒で、一人暮らしの楽しみは一度味わってしまうと、もう元には戻りたくない。独居老人と揶揄されようが、強がりと思われようが、孤独の楽しみはそれを知らない者には理解できないだろう。とはいいながら、時には孤独の寂しさ、というより、孤独である事の若干の不安も感じられる。
朝の散歩や買い物時に、老夫婦が二人で並んで歩く姿は良いものだ。昔から仲が良かったのかは分からないが、少なくとも人前では夫が威張っていたのは、よく見かけてた。それが老いて、妻に指図を受けながら買い物に付き合い、散歩では妻の後を必死に追う姿は微笑ましく思える。「老いては子に従い」ではなく、妻に従いになるのが平和なのだろう。そういう姿は見てて羨ましい。
高齢になると、仕方ない事だが疾病の数ばかり増えてくる。我が身を省みれば、71歳を前にして、冠動脈狭窄や高血圧、糖尿病や慢性腎臓病など、たしかに不養生ではあったが、まさか一度に多病の発症が起きるとは思わなかった。それに加えて、肩や首や腰などの、若いときからの異常、整形外科分野の痛みまで出るとは。頸椎ヘルニアや腰椎ヘルニアや胸椎間板の狭窄症など、20代から30代の頃からのもので、筋力が有ったときには気にするほどの痛みなどなかった。コロナ禍で運動不足になり、動かなくなったのが全ての原因かもしれない。
昨年の3月に契約社員を辞めた。その時までは何処にも異常はなかった。30kgの物を担いで普通に歩いていた。50代の頃など、自称95kgの女性をお姫様抱っこして歩けた。60歳に救命講習で、心肺蘇生法・AED使用法・乳幼児の心肺蘇生法や、傷病者への対応処置と搬送方法などを学んだ。その時には108kgの相手を運搬できた。老いたところで、将来の不安など全く感じていなかった。
老い、体力の衰えは急激に来るものらしい。この1年、コロナ禍の外出自粛で、ハッキリと自覚できるほど体力が落ち、わずか1ヶ月間程度で筋力が落ちた。心臓リハビリのための準備体操ですら、まともに出来なくなった。
体力の衰え、以上に弱った自分自身、フレイルを自覚できると、孤立感が強くなる。孤独の楽しみではなく、孤立の恐怖というものか。「尊厳死の宣言書」も書いてあり、疾病の種類と程度で、治療か疼痛管理のみか決めてある。覚悟は既に決めていたのに、70歳の終わりになりフレイルを自覚すると、子供の頃のような多くの人に囲まれていた生活が懐かしくなる。人に触れるのではなく、人恋しくなり、人に囲まれて過ごした頃が懐かしく思えてくる。
とはいえ、全く女性に興味が無いわけでもない。パートの人達にからかわれていたように、浜辺美波のような若くて可愛い子には憧れる。女を感じさせるよりも、可愛らしさが良い。老いても好みや選ぶ権利は有る。わずかな時間でも一緒に居られたら、もういつ息が止まっても良い、けっこう本気でそう思ってるけど。
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