放送大学群馬学習センター、面接授業「ハンセン病問題と地域社会」(西村淑子:群馬大学教授)が、コロナの影響で閉講となった。草津温泉とハンセン病患者という関わりについて、深く学べる機会でもあったのに、残念でならない。

草津温泉とハンセン病については、湯畑から3kmくらい離れた「重監房資料館」に詳しいと言うが、まだ行ったことがない。面接授業での2日目に草津温泉図書館と重監房資料館の、ハンセン病と地域社会の研究をされてる西村群大教授とのエキスカーションがあり、今期もっとも期待していた科目だった。
ハンセン病患者が多く草津温泉に集まりはじめたのは、明治に入ってからで、草津町湯畑から少し離れた地域に、ハンセン病患者の集まる町「湯之澤部落(下町)」が出来た。昭和5年に全国で2番目の療養施設として、栗生楽泉園が出来ると、そこに移住するようになった。栗生楽泉園は現在も存在し、かつてここから脱走をしようとした者は、重監房室に入れられた。現在は重監房資料館が公開されている。

大正時代にコンウォール・リー女史により、ハンセン病患者救済の活動があった。また草津温泉といえばドイツのベルツ博士が有名だ。だが実際には近年まではそれほど知られてはいなかった。観光資源として、ベルツ博士と草津温泉との関係がいわれてるが、あまり歓迎はされていなかったようで、長く逗留していたわけではない。ベルツ博士は草津温泉は、温泉の効能も素晴らしいが、高地の気候と空気と水が素晴らしい、世界で最も素晴らしい温泉保養地だと絶賛していた。
草津温泉のことを歴史という面から見るときに、ベルツ博士とハンセン病患者救済に尽くしたコンウォール・リー女史は外せない。

草津温泉も歴史と共に大きく変わる。今年の3月で、江戸期よりの伝統ある「地蔵の湯」の時間湯が消えた。湯畑から少し離れて、もっとも草津温泉らしい時間湯だったが、地蔵の湯地域の再開発とかで、道路整備や漫画喫茶や、観光地化されてきた。草津温泉の「時間湯」が無くなれば、温泉としての魅力は捨てたようなものだ。今まで温泉の研究をされている方が注目していた、温泉の成分と温度と、草津温泉の入浴法としての「時間湯」だったが、単なる観光地になってしまった。住民の選んだ道だから何も言えないが、過去の歴史だけでも勉強しておきたい。
コメントを残す