登録科目数を増やした|沢渡温泉から戻り

老人性の鬱状態から抜けきれず、沢渡温泉から戻り、放送大学の2021年1学期登録科目数を増やした。前20年2学期は5科目を受講したが、2ヶ月足らずで終えてしまった。独居老人の生活は、時間が有り余っていたというのが原因だろう。通信指導の頃には、興味は違う方に向いてしまった。単位認定試験前に、真剣に取り組んだのは『英語事始め』だけだった。そのために英語に対しての興味は沸いてきたのだが。

現状を変えるために、沢渡温泉に行ってきた。草津温泉のような華やかさは無く、四万温泉のような、いかにも保養温泉地という温泉街の街並みも無い。かつては泉質の良さからも栄えていたのかもしれないが、今は車の往来も少ない旧街道沿いに家が並び、その家並みの中に小さな温泉宿がひっそりと在るだけだ。その温泉宿の中でも、まるほん旅館の内湯が好きだ。江戸時代の坪湯の雰囲気を残し、坪湯のような共同湯を思わせる、ヒバ材の床と杉の浴室、そして浴槽の下は青い利根石が敷き詰められている。かつて旧白沢村で産出されたという利根石は、湯の中に在ると特に美しい青さを増す。ヒバ材と利根石の、この色のコントラストが好きで、まるほん旅館には気持ちが落ち込むと来ていた。

最近の気分の落ち込みは、もう逃げられない何者かに取り憑かれたように感じる。これも新型コロナの影響なのだろうか。最近は何もする気になれない、散歩はおろか家の中にいても猫を抱えてテレビの前に座ってるだけだ。よく食べるが、食欲がある訳では無く、口寂しくて何かを食べてるだけで、体重だけが増えた。どうでも良いようなドラマを見ては、妙に涙ばかりが出る事が増えた。感動してる事も無く、ドラマに入り込むほど熱中もしてないのに。胃が重く、胸の痛みが増え、肩凝りが酷くなり、頭が重い。去年以来の肩の腱板断裂で左腕が上がらなくなり、激痛も続いた。動かなくなったのも原因の一つかもしれない。

こういう状況になると、誰かの責任にしたくなる。それらの全ての原因は簡単に決定できる。妻の両親、義父母の新興宗教狂いとパチンコ依存症だ。脳が溶けてしまったようなこんな連中に振り回され、普通の夫婦生活も無いままに36年間が過ぎて、妻は肺癌で先に逝ってしまった。老後のための蓄えも全て現金化されて、妻名義の預金にされ、アイツらの尻ぬぐいに使われていた。自分のバカさ加減と共に、けっきょくは信頼できるはずのもっとも身近な者に裏切られていた、こういうことに落ち着くのだろうか。

気分を変えるために沢渡の湯を求めたが、もっとも好きだったまるほん旅館の内湯への、杉材で囲まれた渡り廊下と階段が、膝がガクガクして足の太股にも力が入らない。急な階段は、手摺りを頼りにヨロヨロと歩く始末だ。半年前には普通に歩けていたのに、激変といえるくらいに自分自身の衰えを感じた。部屋で思う事は、家に残してきた猫の事ばかりで、何もしないで猫を抱いて、唯々ボーッとして過ごした時間が懐かしかった。

家に戻ると、猫も同じように感じていたらしく、膝の上から離れようとしなかった。年寄り同士の、妙な連帯感が出来てしまったのかな。この鬱状態は良くない。自分自身でも危険と思える。

自分自身を強く律していかなければならない。ムダな時間は無くさなければならない。自分自身に課題を設けようとしたが、コロナの影響で自由に出掛ける事も出来ない。当面は知識を広めようと思い、関連する科目を放送大学での登録科目を倍にした。10科目を真剣に学ぼうとすると時間は無くなる。調べる事も多くなる。単位認定試験は自宅受験になる事は決まったが、自宅受験だからといっても勉強の目的は別で、卒業では無い。何の役にも立たないし、学んでも将来など無いが、最後の悪あがきとして一つの目標に進みたい。動けるようになったら、より深く学ぶために見学にも行きたい。バカみたいに自分自身を律してみたい。その基本として、隙間時間には積極的に体力もつけたい。

猫を抱いて、一日中テレビの前に座っているのは楽で良いが、楽な事に流されて、人間としての、自分自身に恥じるような生き方は、あのパチンコ依存症と同じ様な生き方になってしまう。最後は施設に入り、生きてる事さえ、見る事さえ疎まれるような、ヘラヘラとした脳が溶けて消えたような生き様には成りたくない。

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