さいきん、我が人生最後の友人であり相棒、そして共に暮らし助け合ってる猫のキータンを見てると、本来の生き方というモノを教えられるときがある。人も地球上に暮らす生物の一種に過ぎず、同じほ乳類の猫と暮らし、本来の生き方を思い出させられる。苦しくても、痛くても、寒くても、熱くても、それなりの居心地の良いところを求め、そこに静かな時間を過ごす。何も恐れる事も、思い悩む事も無いように感じられる。

去年初頭からの、中国武漢発新型コロナウイルス感染症(COVID‑19)により、外出自粛を心がけてきた。果たしてそれが原因なのかは分からないが、急激に体力が落ちたのはハッキリと自覚できる。それ以上に急激に変わった事は、モノ覚えが悪くなってきた事だ。モノを覚えるだけでは無く、覚えていた事が思い出せなくなってきた。今年の5月で71歳になる。年齢的に当然といわれてしまえば、確かにそうなのだが。
2年前の夏に熱中症になった。その後に記憶が出来なくなった。ある日突然に、その日以来モノが覚えられなくなったのだ。その時の恐怖感は、初めて恐ろしさを通り越した、恐怖と共に「認知症」という単語が大きく浮かんだ。もちろん直ぐに掛かり付け医に相談に行き、認知症を止める治療を始めたいと申し出た。直ぐに簡易なテストを行った。約10分程度だが、かなり長い時間だった。
幾つもの単語を覚えたり、映像を記憶したり、食べ物や飲み物などの名前を問われたりと、短い時間なのに疲れる試験だった。結果的には全く異状なしと言われたのだが、納得できなかった。全部で10問ほどの試験で、半分が出来なければ年相応の物忘れ、7割が出来なければ初期の認知症としての精密検査を行うそうだ。試験の結果としては、全て答えられて、全く問題なし、だが納得は出来ていなかった。

私の記憶法は、白紙に単語を書いて、それを映像として記憶する。本を読むのも早く、適当に線を引くと、その周辺を記憶できた。文字や形では無く、見たモノがそのまま映像として残る。ある日それが真っ白なただの紙になってしまったのだ。熱中症での脱水症状が起きて、一時的な記憶障害かもしれないと言われたが、全く納得できなかった。以来映像としての記憶が出来ないのだから。本を読むのが面倒になったのは、読んだ内容やどのページに何が書いてあったのかが、直ぐに出てこなくなった。多くの内容を含んだものでは、それらの連携が出来ない。
昨年初頭からのコロナでの外出自粛が、体力の急激な低下を自覚させた。去年は人文地理学の勉強をしたいと、契約社員を辞めた。記憶が困難になっても、興味のある事には、人生最後の時間を存分に使いたいと思ったから。それがコロナで行動の自由が無くなり、体力が落ちると、さらに自分自身の生きがいとか生き方とかに対しての疑問だ大きくなってきた。幸いにも、以前から気になっていた放送大学に10月から入学して、少しずつだが頭を使うようになった。驚くほど記憶力が無くなり、文字が書けなくなった。体力の低下と記憶力の低下は、人が人で無くなるような、自分自身が崩れていくように感覚さえした。
10月からの放送大学で、5科目の登録をした。5科目は約1ヶ月で、半年間の15回分、実質的には4ヶ月間分の視聴を終える事が出来た。勉強のペースがつかめず、1ヶ月で終わった感が出て、一日中猫を膝の上に、ボーッとテレビの前にいる習慣がついてきた。何もせずに、何も考えずに、外出自粛だからと座っているだけの生活は、慣れてしまうとこれほど楽な事は無い。
しだいに、もう人間としての生き方は終わってしまったのかと、イヤな事さえ考えるようになってきた。この先、ただムダに生き続けていて、どの様な目標や生き甲斐が生まれるのかと。

ズッと寄り添って過ごしてる猫のキータンは、人間年齢に換算すると74歳になった。見てるといかにも年寄り猫だ。腰も悪くなり、ヨロヨロ歩き、餌を求めていつまでも鳴き続ける。今までの餌では気に入らず、好きなものが出るまで鳴く。呼んでも、面倒だと思えば耳をわずかに動かすだけ。ベッドに飛び乗る事も出来なくなってきた。食べるか寝るかの、それだけで生きているように見える。
その無理をしない生き方が、何となく自然で普通の生き方に思えてきた。自然の流れに抗ったところで、記憶力はますます衰え、体力もさらに失せてくる。それが自然の流れだと思えてきた。出来るところまで楽しみ、出来なくなってきても、無理もしないで自然に委せて生きる。それで良いように思えてきた。

そう、無理をしない生き方。お腹が空いたら食べ、疲れたら寝て、暑ければ涼しいところに行き、寒ければ温かいところに移動する。時には興味を示し、時には戦うが、ダメなら仕方ない事、あとは静かに目を閉じれば良い。
今年2021年1学期、放送大学の科目登録は、かなり多くを登録申請するつもりだ。今年は71歳になる。我が一族の男子としては、もっとも長寿になる。もう充分に生きてきた。後は自由気ままに生きるだけだ。興味のままに学び行動し、疲れたら休み、眠くなったら寝る。起き上がる事が出来なくなったら、もうそのままでも良いように思える。キータンの生き方から、さらに多くを学びたいものだ。
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