昨年の今頃は、勤務先で仕事納めの大掃除をしていた。やっと立ち直れたようで、そして同時に大きな夢も有った。年内の退職も翌年の2月までの延長となり、人生最後の仕事と思い、入念に掃除をしたものだ。
そして1年が過ぎて、いったい何をしてきたのだろうか。中国武漢発生源武漢肺炎、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)、このウイルスのために大事な1年間をムダにした。個人のみでは無く、全世界を恐怖に陥れ、多くの人命を奪ってしまった。そして、人生最後の夢も奪われてしまった。
7年前に妻を肺がんで喪い、半年間も寝込んでしまった。義父母のパチンコ依存症が原因で、良い夫婦関係とは言えず、常に義母が原因で言い争いが続いていた。何度も離婚届を書いて渡していた。いくらか認知症が出始めて、さらに酷くなっていった。そんな中、妻の肺癌末期の診断を受け、大学病院に入院し、10ヶ月間の介護生活をした。10ヶ月間の介護を通して、36年間という長い年月を共に過ごしてきた重みを感じた。
葬儀が済み様々な法事が済み、一人になって、寂しさと共に裏切られていたというような虚しさを感じて寝込んでしまった。その原因は、全く内緒で老後資金が無くなっていたことだ。自営のために国民年金だけでは生活できないと、それなりの貯金を委せてきた。妻も結婚以来36年間、自営を全く手伝わずに外で働いてきた。パチンコ依存症の親の生活を助けるためとは分かって見逃していたが、話し合うべきだった。
いったい何を目的に結婚などしたのか、などという嫌な疑問で頭が一杯になった。
子供の頃から義母からの虐待を受けていたことを聞き、虐待を受けて育った子は、親から愛されたいと一生尽くしてしまうようだ。自分の家庭を壊してまでも、親が全てになってしまうのだろう。そんなことが分かっても、どうにもならない虚しさというものが有る。幾ら地団駄踏んでも、何も変わらないことは充分に分かっている。それでも・・・、何も無くなっていたということよりも、全く何も聞かされていないことに腹が立っていた。10ヶ月間も同じ病室に昼夜共にいたのに。
契約社員として食品会社に勤務を始めたのも、気分転換のためだ。癌患者の遺族の集まりにも出たが、愛する人を喪ったという以上に、悲しみも寂しさも、裏切られていたという悔しさ憎しみもあり、なじめなかった。外で働くということで、気持ちを外に向けていた。自営の時のように働き、60歳定年65歳まで契約継続だが、70歳まで勤務できた。雇用更新も言われ、嬉しくも有ったが、小さな夢も抱き始めていた。

精神的にもっとも落ち込んだときに思い出すのは、子供の頃、多くの人達との楽しかった日々のことだ。体の弱かった私は、親戚の女の子達に囲まれて育てられた。田舎の父の実家に行けば、放し飼いの犬や猫や鶏、農耕馬と共に遊んで過ごした。養生のためにと、温泉にもよく通っていた。
近い温泉地に一人で泊まりに行き、次第に温泉地そのものに対する興味や疑問が湧いてきた。
有名では無い、わずか数軒、あるいは1軒の温泉宿の経営はどうなってるのか。小さな村の中に存続してきた温泉宿も、インフラ整備と共に住民がより便利の土地に移動し、存続は出来るのだろうか。狭い土地の中で充分な福祉施策の効果は有るのだろうか。その土地の生産品と加工販売を通して、生活感の充実は図れないものだろうか。広く広報活動を行い顧客を集めることよりも、永続的な住民の生活を補償する方法は無いのだろうか。そんなことを考え始めた。
年齢的に活動は無理でも、死ぬまでは学びたいという想いが強くなり、人文地理を学びたいと思った。
そして去年、その大きな夢を話して、笑われながらも祝福を受けて退社した。社会人枠での入学を目指して受験勉強を始めたその折り、武漢肺炎・新型コロナが世界中に蔓延して、多くの死者を出し、国家間や人と人との繋がりも分断した。
そして人生最後の最大の夢も先送りになり、1年間の外出自粛という期間は、高齢者の体力を急激に失わせた。長年の職業病というべき、腰椎3カ所の椎間板ヘルニア・胸椎の狭窄症・頸椎3カ所のヘルニア、長い間これらと上手く付き合ってきたのに、運動不足は痛みを大きくさせてきた。最近では左肩腱板断裂で、左側の腕が動かせなくなってきた。AM車だから何とか運転できるが、そろそろ免許返納も考えてる。
この1年間を顧みて、でもやはり、学びたい。学ぶなどと大きな事では無く、知りたいことがまだまだ沢山ある。このまま朽ち果てるのは悔しい。けっきょく全ての人生を、パチンコという下らない物にはまった、たった一人の人間によって、全てをムダにされて終わるのは、自分自身に対しても許せない。
来年もまだまだコロナは続きそうだ。10月より始めた放送大学だが、卒業などは望んでいない。大学に所属してるという利点を活かして、多くを知りたい。何も遺せなくても、自分自身の中に納得のいくものを遺したい。
決意は出来ても、時間はあるが残りは少ない。何処まで出来るのだろうか。
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