昨日に続き、今日はMRI検査のために行ってきた。11時45分からの予約だったが、1時間近く早く着いた。廊下で少し本を読みたいと思っていたが、せいぜい20分程度で直ぐに検査室に呼ばれた。音はうるさいが、15分くらいで終わった。
左肩の、肩関節周囲炎以外にも、数年前から両手の小指と薬指のシビレが出てた。肩の痛みが酷くなると共に、特に左の首から肘にかけての痛みや、小指と薬指のシビレが強くなった。肩関節周囲炎よりも、頸椎の問題かもしれない。ストレートネックなのはレントゲンで分かっていたのだが、より診断を明確にしようとのことでMRI検査を受けたものだ。
朝の早い時間帯と違い、初診受付の10時を過ぎると、高齢者がメインになる。
付き添いの他、車椅子移動などでは看護師もついてる。高度医療に入るのだろうか、MRI検査やCTやレントゲンなど、確かな診断には必要なことかもしれないが、自分を含めてこれで良いのだろうかと疑問に感じた。少し危険な考えかもしれないので、自分自身に置き換えて考えてみた。
指のシビレや首から腕にかけての痛み、常に続く肩の酷い凝り具合、これらの原因は知りたいが、分かったところでどうするのか。手術の必要があるといっても、完璧に元に戻るのだろうか。また、元のようになったところでそれが次の生産性に、何処かに起用され役に立つのだろうか。
肩の凝りが無くなり、肩の痛みが消え、指のシビレが消えて、だから何が出来るのか。
盛年 重ねて来たらず 一日 再び晨(あした)なり難し
元気盛りの若い時間は二度と来ない。一日に二回の朝はやってこない。
高度な治療を高額な医療費を費やして、元の壮健な体になるのだろうか。そして、かつてのような知力と体力で、何か社会の貢献が出来るのだろうか。
そんなことは絶対に起こることは無いだろう。醜態をさらして、いつまでも生き続けたくは無い。
功なり名を遂げてはじめて、地位や名誉がなくても、年齢を重ねて父と母に感謝することが出来る。その時に既に父も母も亡く『詩経』に、「わたしを生んだ父母は、いろいろと苦労を重ねて育ててくださった。その父母は今は亡き人となられたことが深い悲しみである」とある。
この歳になると思う、子供達の成長をある程度まで見られたら、あとはそれぞれの子供の生き方に任せるべきだと。老いてまで子供に張り付きたくはないし、邪魔もしたくない。無理に生き延びさせる事は、子の美徳ではないだろう。長く生き続けることは、感謝よりも苦痛を感じさせてしまう。
今の時代、時間と金さえ有れば延命は難しくはないだろうが、それは苦痛を親に強いることであり、子の負債を増やすだけだ。あの美しかった先輩も、歳を重ねれば病を得て醜くもなる。そこまでして先に、何が有るのだろうか。
共に老いて、共に行きたい所もあり、共に食べ笑い、いつまでもそういうノンビリとした時間を過ごしたいと思っていた。それが無くなれば、残された楽しみは何なのか。足も動かなくなり、体の各部が痛み、病を得て伏してばかりで、食欲もなくなり、それでも得られる楽しみや幸せとは、いったい何なのだろうか。
今の痛みやシビレが消えないなら、それはそれで仕方ないことだ。もう手術とか入院治療や高度医療などの必要はない。すでに「尊厳死の宣言書」は「遺言書」と共に書いてあるが、自ら「尊厳死の宣言書」に書いた通りの生き方をしたい。
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