赤城神社|赤城山の大沼と小沼

赤城山、上毛カルタに「裾野は長し赤城山」とある。群馬県人なら、小学生の頃から、上毛カルタ大会のために覚えさせられたものだ。そう、逆に赤城山と言って、この「裾野は長し赤城山」が出ないようなら、上州育ち、群馬県人では無いと言っていい。

赤城山山頂の紅葉

赤城山山頂には大沼があり、そこに赤城山神社が祀られてる。赤城山は上毛三山の中でも、古くからの信仰の対象になって、県内には100カ所以上もの分社がある。その裾野は広く、富士山に次いで日本で2番目に広いそうだ。

山頂には大沼と小沼があり、広い大沼では冬には湖面が凍結し、ワカサギ釣りでも有名だ。

山頂に行くと白樺林が広がり、大沼へと続く。大沼の中に赤城神社が岬のような所に建てられてる。例年、10月10日の前後は紅葉が美しい。日光の「いろは坂」と赤城山山頂の紅葉の季節は、ほぼ同じだそうだ。この日は既に紅葉は終わっていた。

紅葉も良いが、春の白樺林も美しい。清涼とした空気と、緑豊かな外輪山は、またとても美しい。

赤城神社

赤城神社は主祭神に赤城大明神・赤城山と湖の神様をお祀りし、古来人々の守護神として信仰されてまいりました。(中略)
その信仰は太古に遡り設立年代は不詳ですが、大同元年(806年)に小沼から見上げる神庫岳(その後の地蔵岳)の中腹より、大沼の畔に御遷宮されたという記録が残されております。
この年号に因み、この地を大洞と名付けたのです。
この時、小沼の畔にも小沼宮(豊受神社)が建てられております。

赤城神社由来:http://akagijinja.jp/sp/yuisyo/yuisyo.html 2020.11.1

赤城神社信仰の歴史は、かなり長い。榛名山や浅間山の噴火で、古墳時代より自然災害には苦しめられてきました。赤城山も火山でしたが、3万年前の噴火以来、収まってるそうだ。

噴火で山頂部分が無くならなければ、富士山のように美しい稜線を残していただろう。赤城山の大きな噴火活動の、そのテフラが遠く届いて、栃木県の園芸用鹿沼土になった。

ご先祖様がこの地に呼ばれて来たときに、どこに住むかを問われて、渡良瀬川から見る赤城山が美しく雄大で、この地に決めたと聞いたことがある。足利荘を守り、外敵を迎え撃つには最良の地、と言ったとか・・・。ご先祖様は、赤城山を眺めるのがよほど好きだったのかもしれない。そういうことを聞いていたせいか、同じように子供の頃から、赤城山を渡良瀬川越しに、流れの上に来る位置で眺めるのが最も美しい眺めと思う。そして同じようにこの地が好きだ。

今は外輪山の黒檜山(くろびやま)で1800m程度だが、山頂が残っていたら、どの様な形になっていたのだろうか。

古墳時代の赤城山周辺

今回赤城山に行ったのは、古墳時代の自然災害について興味があったからだ。

榛名山や浅間山の噴火が、大きな災害をもたらした。それでも、それに負けること無く上州の文化を築いた。古墳時代には、大陸から馬が渡ってきた。牛と違い、繁殖や飼育法が難しく、渡来系の人達も技術を伝えるために渡ってきたと考えられる。

渋川市の金井東裏遺跡で、甲を着た武人が榛名山の噴火で埋もれていたのが見つかった。武人は渡来系の人、近くの女性は日本の縄文人で、共に長野県の伊那地方で育ち、渋川市付近に移り住み、放牧などの技術を教えていたと考えられる。それらの技術を利用し、上州人は鉄器や牧畜等で力を付けていったのだろう。その中で多くの自然災害に遭い、榛名神社・妙義神社・赤城神社など、古くからの信仰が根付いていったのだろう。

上州の地に、機内に負けず多くの古墳があるのも、渡来人達の技術を使い、進んだ文化を築いていたのだろう。上州で育てられた馬は各地に伝わり、様々な固有種になっていった。古墳時代の上州文化を知ると、この地を誇りに思う。

赤城山の外輪山

赤城山の外輪山は、多くのハイカーが訪れていた。モノレールも無く、とても歩いて外輪山を回るなど・・・、考えられない。覚満淵の所のビジターセンターで、何人もの人達が、この外輪山を歩くルートと所要時間を聞いていた。ただただ驚く。

大沼と小沼は、かつての噴火口で、その形を見たかった。小沼の駐車場に停めて、地蔵岳に登ると良いと言われ、行こうとしたが30分は登りで、諦めた。小沼に降りて休んだが、ここも簡単では無かった。保育園児達が遠足で来てて、小沼周辺を歩いてた。我が身の衰えを強く感じてしまった。

20代の頃に、無趣味だったのを見て、友人の一人がカメラ撮影を進めてくれた。

友人の父親は、赤城山山頂での観光写真撮影をしていたそうだ。その写真の中で、戦前に撮影したという1枚のモノクロ写真を見た。丘の上に人が楽しそうに遊び、その先に雲海が広がり、さらに先に富士山の山頂だ見えてる。外輪山の中でも高いところだと聞いた。高いと言っても、箱形の大きなカメラなので、簡単に運べるものではない。

その時に、当時は歩いて山頂まで行くのだが、途中に「血の池地獄」とか、何とかという、面白い地名を聞いた。まだ見てないが、赤城山は写真家には素晴らしい山だそうだ。ハイカーが集まるのもそのせいかな。高齢者も多かったが、山歩きで鍛えれば、良い山なのかもしれない。

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