本の整理

幾らか涼しくなったので、本の整理をした。もう読まないと思われる全集ものや、面倒な本は廃棄とする。とりあえず、何となく興味がまだ有りそうなものを部屋に運んだ。これから放送大学の勉強が進めば、また本も増えていくだろう。余裕を、タップリと開けておこうと思っていたが、けっこうスペースが狭くなってきた。

改めて眺めてみると、いったい自分の興味はどこに在るのか分からなくなる。これらの本も、やはり読むことも無いのかもしれない。

近い親族の男性は皆短命だ。あと4年も生きれば、最も長生きをした事になってしまう。本当は何に興味があり、何がしたいのか分からなくなってきてる。幾ら頑張っても、何かを初めてももう遅いように思えてしまう。フッとケンタッキーフライドチキンの創業者、サンダースさんを思い出す。

カーネル・サンダース

1890年(明治23年)9月9日、インディアナ州ヘンリービルで、ハーランド・サンダースは生まれました。父を早くに亡くし、工場勤めの母親を助けるために、6歳から家庭料理を始めたそうです。母親を助けるために10歳から農場に働きに出て、学歴は小学校卒業だけです。独学で勉強をして、その職歴は機関士・判事助手・保険外交員・フェリーボートなど40種に及びます。30代後半で石油会社の支配人から勧められてガソリンスタンドを始めますが、大恐慌で潰れてしまいます。その後物置を改造して、小さなレストラン「サンダース・カフェ」を始めます。1935年(昭和10年)に、様々な慈善事業等の功績により、ケンタッキー州知事から名誉称号「カーネル」を授与されます。大勢の顧客を集めるようになったが、1955年(昭和30年)65歳の時にハイウエーの路線が離れた所に移り、客足も遠のき、やがて全財産を失ってしまいます。全てを失ってもなお、美味しいものは消えないという信念の元、店で評判だったフライドチキンの製法に関するFCを始めます。チキン1羽に対して5セントを受け取るというものです。70歳にして新規事業を立ち上げ、73歳で600店を超えました。やがてケンタッキーフライドチキンとして、世界にその名前を残しました。90歳で亡くなるまで、慈善事業に勤め休むこともなかったそうです。

「決して引退を考えずにできるだけ働き続けろ」「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎて錆付きだめになる方がずっと多い」そんな言葉を残して、生涯を走り続けた90年間でした。

70歳で終末期のことばかりを考えてしまうのは、まだまだ早いのかもしれない。放送大学を通して、新たな生き方や学ぶ方向を考えたい。キーちゃんとの生活も、まだ続きそうだ。コイツのためにも、生き甲斐を持たなければ。

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