祖父と過ごした時間|足利市小俣町

尊敬する人物を問われると「ジイ」と答える。祖父との日々は、最期の別れから60年を経た今でも、鮮明に思い出せる。

私は生まれたときに、呼吸をしていなかったそうだ。産婆が血の塊のような物を祖父と父に見せた。元軍医の父は一目で諦めたが、祖父は塊を取りあげると、懸命に息を吹き込み、背を叩き続けた。祖父の息を得て呼吸を始めると、体は見るみる赤く変わったと聞いた。

産婆は後々のことを思えば、息を返さない方がこの子のためためだったのに、そう言って帰ったそうだ。それは正しかったようで、歩き始めが遅く、少し歩くだけで息苦しくなった。原因不明の膝と胸の痛みは、高校2年まで続いた。

誰もが産婆の予言通り、10歳までには死ぬと思っていたそうだ。祖父はそういう私のことを不憫と感じていたのか、大勢の孫の中でも特別に大切にしてくれた。

祖父の家は豪農だったが、戦後の農地改革で大半を失っていた。父は10人兄弟の2番目で長男だったが、私が生まれて数年して、農家は弟に任せて鉄工所を始めた。事業は成功して、父は妹二人に私の子守役をさせた。幼稚園のとき、そして小学校に上がってからも、わずかな時間が有れば祖父の元に行った。

祖父との時間は、常に自然と共に在った。春の田おこしや代かきはは馬を使っていた。田に水を引くと、ヘビや蛙やドジョウや、多くの虫が集まり、白サギや鴨も飛んできた。夏の暑い日には川で遊び、ザリガニ釣りやウナギも捕まえた。少し広い桐生川の川原に下り、ホタルの群れに囲まれ、ホタルたちの中に入ると周りが見えなくなり、その怖さに泣いてしまったことを思い出す。

秋には祖父と裏山に入り、キノコ狩りをし、大きな木に耳を付けて水の流れを聞いた。足下の石に耳を付けると、川の流れる音がした。落ち葉やその中に生きる虫、鳥や獣や人でさえ、死ぬと土になり空気になり水となって流れて、次の命になると教えられた。

冬の寒さや雨の日には、家の歴史やご先祖様たちのエピソードを聞いた。家に伝わる古神道や、菩提寺の住職からは仏教も教えられた。私の今の考え方や行動、生き方の全ては、大きな自然を通して祖父から学んだものだ。

祖父に会いたくなり、墓に行くことが多くなった。道の途中、かつての緑の田畑はソーラーパネルが白く光ってる。自然の動きを学んだ山々は、木は切られ岩は削られゴルフ場になった。常に水が流れ田を潤していた小川には、もう水も涸れて雑草が茂っていた。

祖父が教えた、人の命を作る水や虫や木が消え、人は昔と同じように生きられるのだろうか。墓石の前に座り、独り言のように語りかける。そういう歳まで、私は生き長らえてきたと感謝すべきだろうか。

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