放送大学に申請

放送大学の「全科履修生出願表」を、桐生郵便局から送付した。実際にはまだ少し迷ってるが。

何年か前に、日本温泉地域学会で濱田先生と親しく話す機会を得た。その時に温泉の地質学について、興味有る様々な話を聞き、いつかは勉強がしたいと思ってた。

去年から法政大学通信教育学部人文地理学を視野に入れてた。ところが今回の武漢インフルで、全てがダメになった。

人文地理学で、地理的な要素と地域経済の関係を学びたかった。温泉のみではなく、そこに生きてる人達の生活を学びたかった。

数ヶ月間も家に閉じ籠り、何よりも体力の急激な低下を実感した。やりたいことが有っても、歳だけは確実に全てのものを削り取る。

群馬県内の温泉地を回り、武漢インフルの大きな影響を目の当たりにして、地理的な事と共に、真に生きるとはどういう事なのかを考え始めた。

4月入学を考えて高校の卒業証明書も取ってあった。半年間様々なことを考えて、やはり勉強がしたいと、今日の出願表送付にいたった。

背を押したのは、娘の応援と、リトグリの「Get Down」という曲だった。

「Get Down」の日本語訳文は知らないが、踊れ踊れ、自分らしく、真の自分らしく、今に囚われるな、さぁ回れ、向きを変えろ、飛び出せ、飛び出せ、ここから飛び出し、自分らしく生きろ、そういう応援歌のように聞こえた。

ずっとリトグリの「Get Down」を聞き続けて、そう、もう10年も生きられないかもしれないが、今のこの生活から脱出して、真に生きたいように生きてみたい、そう思えてきた。

我が家の家系は、男子は70歳まで生きるのは稀だ。自分はすでに稀な70歳になった。先は見えて、何をしてもムダかもしれない。全くのムダで有っても、死ぬときに面白かったと死んでいきたい。

これが本当にしたいことなのかは分からない。迷いはあるが、目先のやりたいことをやるだけだ。思い悩んでる時間など、もう無い。人の生きる意味、人の生き方、何もしないでいたら、何も分からない。何かをしてるなかに、何かが得られるような気がする。

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