近い血族男性は、ほぼ全員が60台で逝ってる。そう聞いてたので70歳になり、ソロソロかなと覚悟はしていた。なのに、なんと80越えの叔父がいたそうだ。面倒くさいことだ。思えば同い年の従弟も、まだ元気に自営で頑張ってるという。明確な目標も無いのに、ムダに生き長らえるとは。
数週間遊んで、何となく温泉利用の流れが見えてきた。惣湯が戦国期頃から領主支配権の共同湯になり、幕湯がはじまり、囲い湯になって内湯に変わってきた。泊食分離が明治期以降併合化し、一泊が主流になり、バス・トイレや遊興も自室に求めてきた。戦後までの自炊療養メインが、今は高級ホテル化の非日常を求めてる。温泉の効能は単なる名目で、誰も治療効果など本気で求めてない。昨今の低迷期から五輪特需を目論んでたが、武漢インフルで世界的な恐慌が始まろうとしてる。
近世江戸期から明治期までの泊食分離的な考え方に、小さな地域ブランドの温泉地という生き方もあるような気がする。それはまた温泉地に限らない、地域活性化と通ずる様にも思える。縮小した経済は、商取引を小さく刻み多くの商機を作り、それをつなぎ合わせて弾力性を作る。そういう考え方が正しければ、そのように動き出すだろう。
低金利と札を刷り続け、それでいて大多数の庶民の収入は増えずに株価は上がる。これは実態経済活動を反映していない。古い経済学では、大きな形での破綻になる。
まぁ、まだもう少し生き延びてしまうなら、今後どのようになるのか見てるの一興かな。世の中、なかなか大変な事になって行きそうだが、傍観者にはめったに遭えない興味の湧く事象でもある。
することが無いなら、経済や流通についての勉強でもしようかな。古典的な考え方で見てみるのも、面白いかもしれない。どうやらまだまだ死にそうにも無いようだし。
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