川原湯温泉|群馬県吾妻郡長野原町

2020年6月18・19日、川原湯温泉を歩いてきた。書いたまま、アップを忘れていた。

まだダム周辺は整備の途中だった。温泉街も、未だ温泉街と言えるほどではなく、空き地も多く、温泉宿も多くは無い。昔の狭い道の両傍に、いくつもの古い旅館が軒を並べてるような、せせこましい、それが何となく古い温泉街を思わせたものだ。

今は広い土地を整備し、民家と宿が新しく建てられてる。

川原湯神社も移転され、新しくなった。以前はよく分からなかった「薬師堂」は、トンネルの位置から僅かにそれていたようで、そのまま残っていた。

川原湯温泉駅も新しくなり、駅と温泉街が近くなった。以前は駅から200m以上は、坂道を歩かなければならなかったが、鉄道を利用するには便利になった。駅舎内の見学も、自由にさせてもらった。改札を通り、線路の上になる通路から見る景観も素晴らしい。

川原湯温泉は、昭和5年に行われた、新聞社主催の読者が選ぶ温泉地で「全国温泉十六佳泉」中、16位になった。ちなみに群馬県内では、7位に老神温泉、14位に大室温泉(現上牧温泉病院)が選ばれていた。

かつての川原湯温泉は、伊香保温泉の奥座敷とか、草津温泉の上がり湯などといわれてきたが、実は大変に人気のあった温泉地だったようだ。伊香保温泉や草津温泉が湯治目的で有名だったが、ここ川原湯温泉は大勢の芸者さんや、豊富な食材を使った料理屋さんも多く、もちろん泉質も良かったので、チョットした温泉旅行として有名になっていたようだ。もちろん交通の便も良かったのだろう。

伊香保温泉に行くには、渋川駅乗り換えて、伊香保電気軌道で行った。伊香保軌道線の累積赤字で廃止になったのが、昭和31年。その後に道路が十分に整備されていたかというと、そうでも無かったと思う。伊香保には幼い頃に何度も行ったが、その時の印象は、まだ舗装もされてない悪路を、渋川から伊香保の石段まで、かなり長い時間をかけて自動車で揺られていた。

草津温泉も天下の名湯として、江戸時代より多くの湯治客を集めていたが、交通の便はきわめて悪く、軽井沢からの草軽線に頼るほか無かった。その点では、昭和初期の交通の主力であった鉄道の便を考えれば、川原湯温泉や老神温泉は有利であり、大室温泉は地方には珍しい都会的な割烹料理温泉宿で、鉄道開通と温泉宿開業が重なり、都会で有名になったのかもしれない。

もともと川原湯温泉は湧出量も多く、移転に伴い新湯源泉も掘削された。それを貯湯槽に集め、配管内を循環させる方式にした。メインの配管から各温泉宿に引かれ、必要量は掛け流しで使われ、使わなければ常に貯湯槽にためられてる。各宿は常に新鮮な状態で源泉の供給を受けられるようになってる。

半世紀にも及ぶダム建設問題で、村は二分され、翻弄されてきた。治水事業とか、その目的は様々に変わったようだが、結局は都会の水瓶であり、都会周辺の工業用水に使われ、都会周辺の水害防止だろう。今年の台風では、まだ本格的な使用開始ではないにしろ、下流域での水害防止に大いに役に立ったそうだ。これからの維持費用も、群馬県でかなりの部分、負担し続けなければならない。都会の生活のために、多くの犠牲を払い、これからも維持費用は続く。

「にっぽんの温泉100選」で、草津温泉が17年連続1位になった。鉄道も、道路も、整備が進んだから日本1を続けられるのだろう。吾妻渓谷を通るとき、道の駅「八ッ場ふるさと館」に寄るときには、ダムの反対側にある川原湯温泉のことも考えて欲しい。八ッ場大橋や府道大橋を渡り、川原湯温泉にも行き、王湯を楽しみ、食事を楽しみ、温泉宿の宿泊も楽しんでもらいたい。

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