猫が最後の家族

7年前の63歳になろうとする春、36年間を共に過ごした妻が逝き、当時7年になる茶トラ白のオス猫一匹と暮らすことになった。

同居猫の名は「キータン」というが、それは動物病院での名で、ふだんはキーと呼んでる。

キーは生まれて直ぐに、紙袋に入れられ捨てられていた。妻の友人が保護して、2週間の入院治療を受けさせ、我が家に来た。保護されたときは、目はヤニで塞がれ、鼻は血と膿で呼吸困難な状態であったそうだ。股関節脱臼と大腿骨骨折もあって、いまだに鼻が悪いようでイビキが凄い。歩行も少し引きずるような歩き方に思える。

家に来ても物陰で「キー」と泣くばかりで寄って来ない。その泣き声と背中の黄色から、キーと呼ばれるようになった。だいぶ見た目の悪い子猫だったが、妻は治療費で数十万も掛かり、ペットショップの猫よりも高価だと笑っていた。確かに入院費だけでも、保険が利かないだけに相当に高いはずだ。キーの人への警戒心というか、恐怖心は強く、しだいに離れて誰からも相手にされなくなった。

8年くらい前、2人の子供が就職や結婚で家から巣立った。20年間を家族として過ごしたメス猫のミー子は、2人が居なくなると急に衰弱して死んでしまった。

その半年もたたずに妻の肺ガンが見つかり、最期を迎えるまでの10ヶ月間を病院で過ごした。自営を辞め、個室でもあったので、夜は泊まって介護を続けた。2人だけの静かな日常が、この入院の間だけだった。家には時々しか戻らず、キーは確かに家に居たはずなのに、不思議なくらい記憶に無い。

妻の葬儀が済むと、私は疲れからか半年近くも寝込んでしまった。もう起きる気力もうせていた。大きなイビキで気付いたのだが、キーが布団の近くで寝るようになっていた。目が合っても逃げ出さず、時にはおどけて見せた。7年もいたのに、初めて見せる仕草だった。

キーと遊ぶようになり、外にも出られるようになれ、人の勧めで会社勤めも始めた。毎日食事を作り、キーと話しながら食べ、夜はキーのイビキを聞いて寝入る、それが極めてあたりまえな日常になっていた。

去年、5日間の旅行に行った。家に戻ると、薄暗くなった玄関の前で座っていた。気付くと横腹の毛が大きく抜けていた。動物病院で診てもらうと。心因性の皮膚炎で、簡単には治らないと言われた。餌だけでは生きられなくなっていたのだろう。この5日間は私も同じで、イビキが聞けず、ずっと熟睡できなかった。

猫の14年は人間では73歳だという。いつの間にか3歳も歳を超えて、一緒に充分な老人に成っていたようだ。

70を前に退職した。慰留され嬉しくもあったが、それ以上にキーとの生活が大切に思われた。共に寄り添い、あと何年一緒に暮らせるのか分からない。たかが猫一匹だが、いつの間にか最後の大事な家族になっていた。

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