
休みの日は何もする気になれない。食事も面倒なので、固焼きソバを作る。野菜を適当に炒めてから、中華味のスープで煮てトロミを付けるだけの簡単なものだ。本来なら捨ててしまうような野菜も、これで処理できる。
娘から連絡があり、昼食を一緒に取らないかとあった。わざわざ1時間半も掛けて来てくれても、共に疲れるだけだろうと断った。で、孫達の好きな固焼きソバを思いついたのだが・・・。

炒め物の時に使う竹のへらだが、毎日使っていたわけでも無いのに、新しい物と比べると随分とすり減ってるのが分かる。一度仕舞い忘れて新しい物を購入したが、どうにも手に馴染まなかった。こんな安物の竹のヘラだが、料理を始めてから30年以上も共に台所で子供達のために頑張ってきたのだと思うと、妙に大切な品物に感じられる。
自営だから出来たことだが、毎日の朝と晩の料理を作った。高校に進むと、6年間以上も二人の弁当も作ってきた。
「学校でも、お父さんのお弁当は評判だよと」「お父さんの作るお弁当は、見た目もキレイで、幾つものおかずが並んでて、お昼になると友達が来て交換して、なんてよく言われてた」などと娘に言われ、ますます弁当作りに力が入ったものだった。その娘も保育園の栄養士兼調理師として働き、最近は園児の父兄のための栄養相談や、食物アレルギーに関しての勉強も始めて、自分の保育園以外でも活動を拡げてるようだ。小学校低学年と保育園児の二人の子供を育てながら、地域や市の関係にまで広がり、多忙を極めてるようだ。
息子も自力で大阪の大学を出て、大阪で就職して暮らしてる。まだ独身だが、日常の食事を作るようになったと話してた。男の子にしては、けっこう様々な物を作るようだ。チョット有名な中高一貫高校であったので、6年間も弁当を作った。当時は何も言わなかったが、あの頃に毎回違う弁当のおかずなので、今はそれを思い出して作ってると言われ、涙が出るほど嬉しく思った。

幼い頃、体が弱く長生きは出来ないなどと言われて育ってきた。母は決して料理は得意では無かったようだが、様々に工夫をして多くの種類を食べさせる努力をしてきた。父の実家からは季節の食材も届き、特に祖父は古神道に伝わる健康法や治療などにも詳しく、食餌療法を母に教えていたそうだ。食卓はいつも華やかに感じて、その幼い頃の記憶のためか、色とりどりで色彩感が無いと何となくダメだ。
今は一人暮らしになり、少なく食材を購入しても、半分以上は無駄にしてる。冷凍保存など、これからは充分に気をつけなければならいだろう。来年からは完全リタイヤとして、わずかな年金だけでの生活になるのだから。食生活の見直しも必要になる。
子育ては、ただただ朝晩の食事を作り続けたことだけだったようだ。それだけでも、充分な教育になった。更にその事は、老いた今の自分の生活にも充分に役立っている。生きるという行為には、真面目に向き合えば無駄なことは何も無いようだ。
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