
日本温泉地域学会の第33回研究発表大会が、梅ヶ島温泉郷で行われた。日本温泉地域学会の会員になり、温泉ソムリエマスター・温泉観光士・温泉観光実践士等々を受講して、普通の人よりも温泉に対する知識とか温泉地のことには詳しいはずなのに、梅ヶ島温泉については全く知らなかった。手元の雑誌を見れば、確かに古湯として紹介はされていたのだが。
『温泉地域研究(第32号2019年3月)』の冒頭論文「国民保養温泉地・梅ヶ島温泉の形成過程」(赤池勇治著)を読み、大いに興味をかきたてられ参加希望を出した。通常は40名前後の参加者なのに、この論文の影響なのか、当日の参加者は80名を超えていたそうだ。
梅ヶ島温泉郷、急流阿倍川上流域の狭隘の道に沿ってわずかに人家が点在し、阿倍川起点の梅ヶ島温泉までに4ヵ所の温泉地があり、それをまとめて梅ヶ島温泉郷と呼んでいる。代表格である梅ヶ島温泉は、高い山に囲まれたドン詰まりの、阿倍川の対岸の高い山から温泉が流れ出てる静かな温泉地だ。2017年(平成29年)5月に国民温泉保養地に指定された。
赤池氏の論文中で、温泉の歴史だけではなく、ここは金山としての歴史もあり、古くは仁徳天皇(第16代天皇:290年生~399年2月7日没)の時代に温泉と砂金が発見されていたそうだ。1700年の歴史をほこる温泉地でもあったが、武将達の隠し湯ということよりも、今川・武田・豊臣・徳川の歴代武将に取り、金山の方が大事だったのかもしれない。徳川家康が天下を取り、天下を長く治める為に必要だった貨幣流通の基本となった慶長小判にも使われたかもしれない。金山故に幕府直轄地となった歴史もある。金山のあった駿府の地、その金山の陰に隠された秘湯感を窺わせる歴史有る温泉地、梅ヶ島温泉、確かに秘湯感があった。
1日目:梅ヶ島温泉郷視察と懇親会
梅ヶ島温泉郷は、コンヤ温泉・梅ヶ島金山温泉・梅ヶ島新田温泉・梅ヶ島温泉があり、それぞれに温泉の利用と周辺の楽しみ方に特徴も有る。今回の視察会では、県庁職員の赤池氏はじめ市職員の皆様や、現地の施設関係者による案内と説明があり、有意義な見学会となった。特に赤池氏によるバス中の案内は、静岡駅から梅ヶ島温泉までの各所の歴史や名所も含め、温泉郷一帯を知る上での参考になった。

コンヤ温泉
コンヤ温泉では、大野木荘大広間にてご主人からコンヤ温泉の歴史についての貴重なお話しを伺い、同宿泊施設や浴場の見学をさせて頂いた。続いて市職員の方から、源泉の貯蓄槽などの見学と説明を受けた。
旧源泉(コンヤ1号)はコンヤ沢の2kmも離れた所に有り、昔から村人は病気や怪我を患うと、源泉まで行き湯をくみ取り、家に持ち帰り病気や怪我を治していたそうだ。大正時代から湯治のための宿泊施設が出来て、自噴泉(100L/min)を命がけで汲み、危険を冒してまで運んだそうだ。昭和60年に「コンヤ2号」が200m離れた所に掘られ、現在はコンヤ温泉の宿3軒に供給されている。

泉質は単純硫黄泉で、ph10.3・湧出量165L/min・温度30.8℃(貯蓄槽で計ったら29.9℃)・平成27年の源泉温度は31.7℃。効能は、美肌・神経痛・打ち身・痛風・糖尿病・その他。大野木荘の内湯と露天風呂の湯に手を入れてみると、相当にヌルヌルスベスベ感があった。温度は高くなく、長時間入ってこの源泉を楽しめそうだ。
観光学科などの先生方には、特に女性用の内湯や露天風呂に興味が有ったようで・・・湯使いなどや湯船の状況など、女性用浴場は見る機会が少ないのだそうだ。まして写真など詳細な部分までジックリと写すことなど出来ないのかも。 研究者ではない、ただの温泉好き旅行好きに取っては、食事の場所や地域独特の建物などの方が興味をそそられる。コンヤ温泉には温泉宿泊施設の他、赤水の滝・テニス場・吊り橋・釣り堀等々の施設も整い、食事所や各種のお土産なども揃っている。
梅ヶ島金山温泉
ここは個人所有(梅ヶ島観光開発株式会社)ということで、残念ながら見学は出来なかった。
資料によると、源泉名:梅ヶ島新田1号・湧出温度:32.8℃・湧出量:37L/min・泉質:ナトリウム-炭酸水素塩温泉・湧出状況:動力揚湯・利用施設:旅館(貸別荘)1施設。
梅ヶ島新田温泉
見学施設は、市営の日帰り温泉「黄金の湯」と少し離れた源泉地だった。資料からの引用で、源泉名:梅ヶ島新田2号・湧出温度:31.0℃(H27.11計測。見学時の実測では29.5℃、外で計ったので実際はもう少し高かったかも)・湧出量:124.2L/min(H27.11計測)・湧出状況:動力揚湯・泉質:ナトリウム-炭酸水素塩温泉・源泉所有者:静岡市・利用施設:旅館1施設 公衆浴場1施設

「手湯」での感覚は、温度はぬるかった。指をこすると、相当なヌルヌル感がある。これは飲泉不可、源泉地からの距離が離れてるので、管理上の問題で許可が出ないのかな。
「黄金の湯」施設での見学は、主に施設の維持管理や源泉管理に関しての詳しい見学が出来た。入浴施設や歴史などの説明見学もあったが、私達は特に源泉管理に関してのモノクロラミン消毒などの詳しい説明や、その装置についての使用状況と使用実績、使用後の変化や管理施設など詳細に聞けた。源泉を如何に大事に使用しているかが分かると共に、消毒効果を高めながらも、源泉の変化を少なく出来るかが分かった。公衆浴場として使用するために、泉質により多量の塩素消毒を行い、塩素臭や泉質まで変化させてしまうこともあるが、「黄金の湯」では厚生労働省から認可された(平成27年3月31日改正)モノクロラミンでの消毒法で成果を出しているようだ。
源泉はここに送られてきて、危険防止のために源泉中のガスを抜いて、別棟の殺菌槽管理棟に送られる。炭酸ガスを抜いてしまったら、あの独特な細かな泡が付かなくなる。温泉の好きな者にとっては大事な要素なのに、「松濤温泉シエスパ爆発事故」以降、源泉中の天然ガス除去については厳格になったようだ。
源泉地見学では少し離れた畑の上まで歩いた。いつも思うのだが、こういう所に井戸を掘るのに、どの様に場所を特定するのか、いつかは温泉工学の濱田眞之先生の講義を伺いたい。実は翌日の研究発表会には出席されていた様だった。
梅ヶ島温泉
梅ヶ島温には、12の源泉があり、それを集めて各温泉施設に分配してる。使用施設は旅館が11施設、公衆浴場が1施設。昭和30年に掘削自噴の梅ヶ島1号金の湯、他の2号から12号までは自然湧出のようだ。梅ヶ島温泉湯之神社の裏手の小さな川に沿ってと、神社下に自然湧出されている。それを下の貯蓄槽に一度溜めてガス抜きをして各温浴施設に分配してる。
源泉数:12本・湧出温度:38.2℃(H27.11計測)・湧出量:186.5L/min(H27.11計測)・泉質:単純硫黄泉・湧出状況:1号泉が掘削自噴、他は自然自噴。12本の源泉は、全て湯之神社周辺から自噴して、それを1ヵ所に集め、各施設に分配してる。
安倍川の支流、と言えるほどの流れではないが、このいわゆる源泉湯滝の下に、この流れを挟むように「金の湯」と「虹の湯」が有ったという。宿泊施設が出来ても、村民が自由に入れる、道後温泉のような下が風呂で2階部分が休憩室になっていたそうだ。しかし昭和41年9月の台風により、木造の施設は流され、今は「おゆのふるさと公園」として整備されている。
吉井勇を研究してる静岡大学の先生のお話しでは、今年は5月22日に初めて梅ヶ島温泉を訪ねてから80年目だそうだ。梅ヶ島温泉ホテル梅薫荘の先々代が、保養施設として宿泊施設を初めて建てた。知人であった吉井勇を招き、吉井もここが気に入り、多くの短歌を作り石碑も残っている。吉井勇の石碑が、日本で最初に作られた石碑だそうだ。
梅ヶ島温泉ホテル梅薫楼での懇親会
宿泊施設は、予想を超える出席者数に、4ヵ所に分かれて逗留することになった。懇親会は当初の通り、梅薫楼の大広間で行われた。大広間に全員が入れることもなく、ビュッフェスタイルであったが、その事で自由に移動も出来て楽しい時間が過ごせた。
梅ヶ島温泉の他の宿泊施設の皆様や、大勢の関係者の尽力により、伝統芸能の「チキドン」も会場内を練り歩き、会場内に和やかな雰囲気を作ってくれた。
2日目:研究発表会(梅ヶ島地区センター)
午前中は自由論題研究発表が行われた。最も興味が有ったのは、進藤和子氏の「潮湯(海水温浴)–興津にもあったその歴史と現在–」だった。海水はナトリウム-塩化物泉とほぼ同じような成分内容で(岩石から湧くとケイ素が含まれるが、海水ではかなり少ない)、34g/kgの成分量は不老不死温泉(27.99g/kg)や舘山寺温泉(22.62g/kg)と同じようだ。海水は温泉とは成らないが、実質的には成分は同じなのだから、海辺の風光明媚で海産物の豊かな所では、潮湯を使った宿泊施設も有りなのではないかと思う。
池永正人氏の「スイスにおける温泉保養地の統合型リゾートの形成」、長期保養地での過ごし方としての、小規模カジノのあり方についてのスイスでの現況の紹介と考察が有った。スイスのカジノの収益は年金に使われるとのことだった。外国でのカジノの運営は、それなりの歴史があり、楽しみ方も出来てるのだろうが、どうも日本の場合は「パチンコ」が直ぐに思い浮かんでしまう。身近に大勢のパチンコ依存症で親族に迷惑をかけ、自身も破滅していった多くの者を見ているので、拒否反応が出てしまいそうになる。
午後からの講演とシンポジウムは、改めて梅ヶ島温泉に対する強い念いで有るのかが感じられた。手塚泰宣氏(観光協議会「ようこそ梅ヶ島」会長)の講演は、梅ヶ島温泉郷を如何に維持発展をさせていくのか、その強い決意も感じられた。続いてのシンポジウムで「梅ヶ島温泉郷と静岡市の温泉振興」も、初めて日本温泉地域学会研究発表会に参加した者としては、興味の有るものだった。地域振興や地域活性化などの手法に興味が有るので、面白く聞けた。
参加しての感想
とても参考になる、などというと生意気すぎるが、興味の有る内容も多くて楽しいものだった。著名な先生方や研究者、大学教授クラスの人達の参加者も多く、あまり物見遊山的な面白さはなかったが、温泉の楽しみ方としての幅は広がったように思う。
話しの中に、身延との間にトンネルを通すのが長年の夢ということが出たが、トンネルは梅ヶ島温泉郷にとって発展の鍵になるのだろうか。部外者ではこの地域での悲願ということの本当の意味などは分からないだろうが、何となく今の良さは失われ、ただの通過点になってしまうように思えるのだが。
今回の参加について、当初は身延の下部温泉に一泊して、それから梅ヶ島に入ろうと思っていた。しかし長い林道なので新幹線を利用して、バスに同乗させてもらうことにした。
マップを眺めながら考えていたのは、孫達と行った伊豆旅行のことだった。仮に簡単に車での移動が出来れば、長野の諏訪大社に行き、次に身延山見物と下部温泉に宿泊する。翌日は沼津港で海産物を楽しみ、伊豆半島へはユックリと入れる、というものだった。実際に来年にはこのコースで三泊くらいの予定で伊豆旅行も考えていたくらいだ。ただ林道という問題で無理だろうと思った。トンネルは便利になるが、果たして梅ヶ島温泉郷の発展には、どの位の効果が望めるのだろうか。むしろ静岡県からの観光客誘致に、身延町の方が有利になるのでは無いかと思うのだが。日蓮宗本山のある身延町と静岡市の梅ヶ島温泉、どちらのブランド力が強いのだろうか。
部外者の勝手な想像にしか過ぎないが、本当にトンネルが出来れば、山梨と静岡の観光が便利になることは確かだろう。どちらが有利になるかは別にして、単なる観光客としては安全なトンネルは実に嬉しいことでも有るのだが。
急流阿倍川のどん詰まりに、山の上から温泉が流れ出てくる。温泉地ではジビエ料理と美肌のなめらかなヌルツル感の源泉が楽しめる。ここには今川氏・武田氏・豊臣氏・そして徳川氏の長く安定した幕府を支えた慶長小判作成にも使われた金山も有る。国民温泉保養地としての温泉の楽しみ方以外にも、重要な歴史の部分についても知りたかった。いつかは孫達とこの温泉郷を訪ねるときに、温泉の素晴らしさと共に、日本史の流れの中に果たしたこの温泉地の歴史も話せるようになりたい。今回はこの歴史の部分が聞けなかったのが残念に思われる。
最後に、静岡市職員や温泉関係者、そして赤池氏、日本温泉地域学会の皆様に感謝したい。改めて温泉の不思議さと共に、温泉と地域の人々との関係や歴史を知り、さらに好奇心が湧いてきた。温泉は泉質だけではなく、自然の中に在るという転地療法も重要な部分ではないかと実感できた。
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