
勤め先の同部署の人の母親に、初期膵癌が発見された。手術は成功したのだが、まだ心配とのことだ。他人としては何も出来ないが、新橋の烏森神社は癌封じの神社ということなので、御守りを頂いてきた。
新橋、様々な問題でサラリーマンへの取材となると、いつもこの新橋駅周辺で行われている。新橋、どの様なところなのか興味もあった。確かに如何にも大都市、摩天楼(笑)という思いがしてた。というのも、烏森のある西口側に来たことが無かった。駅周辺の散策もしたことが無かった。
大きな通りの大勢の人達の雑踏の中、烏森神社バス停から狭い参道を通って、高層ビルに囲まれて神社はあった。その如何にもビジネスマン・ビジネスウーマンの体の人達に、早歩きを止めて神社に向かって礼をする人が居た。その人の姿で神社が分かったのだが。

倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)・天鈿女命(アメノウズメノミコト)・瓊々杵尊(ニニギノミコト)
東国にて「将門の乱」天慶3年(940年)が起き、これの平定のために藤原秀郷が向かった。秀郷は武州の稲荷神社で戦勝祈願をした。その時に白狐が顕れて白羽の矢を与えられ、それを以て秀郷は大勝した。そのお礼に稲荷神社の建立を勧請したとき、夢に白狐が出て神鳥の群がる地が霊地と告げられた。この地、桜田村を通るときに、カラスが群がり飛んでいるのを見てこの地に神社を建てた。詳しくは烏森神社のHPを。稲荷神社で戦勝祈願したので、御祭神に倉稲魂命(この日本書紀での名前は室町時代以降の稲荷社の御祭神として祀られている。主に宇迦之御魂神との古事記中の表記が多い様に思われる。
新橋の西口は初めてだった。ここは「汽笛いっせい新橋を~」という鉄道発祥の地だった。

新橋駅西口広場、通称SL広場周辺を歩いた。赤煉瓦と居酒屋、日本を背負って頑張るサラリーマン達の聖地にふさわしい駅周辺だった。
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