
観音院本堂
観音院、正式には諏訪山観音院能満寺(すわさんかんのんいんのうまんじ)という。一般的には観音院とか日限地蔵と呼ばれているが、桐生では「おじぞうさま」といえば観音院の事だと、ほぼ分かると思う。そのくらい親しまれている。この観音院の「聖観音」の御朱印を頂き、あまりにも美しい文字なので、再び訪れ「日限地蔵」と季節の御朱印を頂いてきた。
観音院(日限地蔵)の寺歴
寺号:諏訪山観音院能満寺(すわさんかんのんいんのうまんじ)
宗派:真言宗豊山派
本尊:聖観世音菩薩
真言:おんあろりきゃそわか
開基:岩崎彦右衛
開山:秀賀
開創:正保元年(1644年)
関東八十八ヵ所霊場 第十番霊場
上州観音霊場三十三カ所 第五番霊場
以上、HPより
上毛新聞社刊『ぐんまのお寺真言宗1』による別伝では「正保元年(1644)養甚という道心が岩崎彦右衛門の庵に移り住んだのを始まりとする。承応元年(1652)小俣村(足利市)威徳院の弟子、秀賀という僧が来住、庵を今の観音堂の廟所に移し観音院と呼んだ。その後、寛文二年(1662)に現在地諏訪の森に移した。」と有る。
道を挟んで諏訪神社があるが、これは神仏習合時代には観音院と一体になっていたようだ。明治新政府になり神仏判然令(神仏分離令)により、仏教と神道が分離された。大正14年(1925年)新道開設に伴い、諏訪神社は移転された。
秘仏と本堂
御本尊様の聖観世音菩薩像(江戸時代中期の作)は秘仏であり、前立ち観音の聖観世音を参拝する。秘仏の納められてる御厨子の天井部や周辺の彫刻は見事なもので、本堂は嘉永年間(1848~54年)の造営と言う事だから、当時のまま残されてる物と思う。いつ頃になぜ秘仏となったのか分からない。また、ご開帳はあるのかは聞きそびれてしまった。
桐生市の指定文化財である元治元年(1864)、岩本一僊作の「観音院涅槃図」(桐生市HP)は、訪ねた日が日限地蔵尊の縁日でもあり、縁日の熱狂で見られなかった。
日限地蔵尊も秘仏とされ、縁日の参拝者はお地蔵様と繋がった紐を握って縁を結ぶようだ。この日限地蔵尊は公開されない。御住職も日限地蔵尊を見る事は無いそうだ。聞く話では、お地蔵様の肩には鉄砲の弾の跡があり、窪んでるそうだが、誰も確認した人が居ない。そのくらい大事にされ、秘仏として多くの桐生の機織り業者に信仰されてきた。
観音院日限地蔵尊の伝説
昔々、大きな機屋があり、毎晩遅くまで機織り仕事をしていた。ある晩、家の者が外に大入道の影を発見した。その影は毎晩表れるので、家の者が怖がり、ある晩に鉄砲で撃つと消えた。翌日外を見ると点々と血の跡があり、追っていくと観音院の庭で消えてしまった。
ある夜、機屋の主人の夢の中にお地蔵様が現れ、毎夜外にいたのは機屋を守るためだったと告げられた。野天に立ってるだけなので誰からも信仰される事も無い。多くの人を守るためにお堂を建てて欲しい。その時には日を限り祈願すれば、願いを叶えようと言われた。機屋をはじめ大勢の人達の浄財が集められ、立派な地蔵堂が建立された。
現在も毎月の縁日である24日には、大勢の参拝者が訪れ、周辺の道は歩行者専用になり、多くの露店が並び、活況を呈している。桐生市内の機業者のみならず、周辺各地からも多くの人が訪れ、縁日には植木・日用品・刃物類・食品・地場産物などの多くの店が並んでいる。
御朱印

この御朱印を頂いたときも、2月の縁日の日だった。周辺道路や境内は縁日の賑わいと、本堂内には御朱印を頂きに大勢の人が待っていた。縁日だけの特別な御朱印がある事は分かっていたが、地蔵尊ではなく御本尊の御朱印を希望して、本堂外陣にて真言宗の勤行と観音経の読経をした。
御朱印を頂き、車の中で確認をした所実に見事な文字だった。御朱印の本来の意味は納経し、その参拝の証として納経帳に朱印と揮毫を書いて頂くものだ。言われるようなスタンプラリー的なものや、物見遊山のついでではないと考えてる。なので、文字の美しさなどは気にしてないのだが、創作書道のような美しさを感じる御朱印もある。
初めての蒲田八幡神社の御朱印は、実に伸びやかで優しさと穏やかさを感じ、朱の社印と金色の鳳凰の中に、威厳さえ感じられた。浅草の浅草寺の御朱印や長谷寺の御朱印は、創作書のような美しさと荘厳さと、その御朱印自体が御本尊様を具現化したような美しさもあった。極楽寺の御朱印は独特なたおやかさも感じた。
観音院の「聖観音」の御朱印は書の手本のような整った美しさがあった。
通常の地蔵尊の御朱印は、文字が絵画的な美しさが感じられる。特別御朱印は文字の美しさと共に、背景の季節のしだれ桜とのバランスでの美しさも感じる。御朱印の別の楽しみ方も発見したようだ。
境内散歩

先ずは左右に金剛力士像を配置した仁王門。浅草寺の山門を小さくしたような感じを受ける。

仁王門をくぐると、左に鐘楼台、右手に境内の案内図がある。

境内案内看板の裏手に、真言宗のお寺らしく、弘法大師修行の像が建ってる。
本堂横には大黒天があり、その裏中庭は苔庭だそうだ。
本堂裏手には「寺樹」があり、小さな不動明王と共に本堂を守ってる。普通の墓園の他、樹木葬も行われてる。
参詣の感想
仁王門から本堂まで、それ程長い距離でもないが、左右には様々な神仏が祀られていて縁日意外での散歩や参詣もまた良いのではないか。多くの人々の信仰を集めているようで、境内は清潔に清掃され、休憩所も設けられている。参道の周囲には大きな木々に囲まれ、独特な静寂さを保っている。
地蔵尊の縁日(毎月の24日)には、特別御朱印を目的に大勢の御朱印マニアも来てる。それ以上に大勢の、地蔵尊への願掛けで訪れる人達の、まだまだ日本の信仰心は失っていないようだという、妙な安心感も感じられた。露店の手作りのお菓子も美味しかった。縁日には付きものの刃物等の日常品の店も、見るだけでも楽しいものだ。この縁日はいつまでも続いて、桐生市の地域発展と活性化を見守って欲しいと思う。
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