3月の29日(木)・30日(金)、「スーパービュー踊り子号」の乗車目的で下田旅行に行ってきた。
下田というとペリーが来た事や、了仙寺での条約を結び鎖国が終わった事が最も有名だ。幕末期の様々な事、勝海舟が山内容堂と下田の宝福寺で会い、坂本龍馬の脱藩が許されたのもこの地である。同じく吉田松陰がペリーの船に乗り込み、密航を企てたがペリーに拒否され身柄を引き渡されて、幕府に囚われたのもこの地だ。それ以前の江戸時代には、この下田港は太平洋側の東西交易船の停泊地でもあり、大いに各地の文化の交わった土地でもあった。
ペリー来航後、まさに開国に向けて時代が大きく動き始めた切っ掛けの土地でもあるが、この事で船頭目当ての多く遊郭や芸者さん達は大挙して移動し、熱海の地にたどり着いた。明治期に多くの指導者層や文人墨客などの著名人が熱海に居を構え、熱海温泉が広く知れ渡り国民の憧れになったのも、このペリー来航と無関係では無い。そして最も伊豆を有名にしたのが、川端康成の『伊豆の踊子』とその映画化かもしれない。
もう60年近く前になるが、初めて『伊豆の踊子』を読み、何処が琴線に触れたのか忘れたが、涙が流れるほど感激して書き写したものだ。自分の新婚旅行では伊豆半島の周辺を回った。近すぎて嫌だと言われたが、どうしても伊豆へ行きたかった。中伊豆の踊り子の歩いたルートは、リタイア後に二人で歩こうと約束をして、大事な生き甲斐にしてきたが、今はその約束をした相手も居亡くなった。いつかは必ず、一人でも歩いてみたい。中伊豆の踊り子の歩いた道は、今でも鮮明に頭の中に描かれ残っている。
東武鉄道「りょうもう号」
新桐生駅から、「りょうもう号」で浅草まで。そこから上野を経て東京駅に行く。初めての電車旅、やはり地方では自家用車が中心で、電車に乗る機会は少ない。座席指定のユッタリとした旅は、子供達には旅への夢や期待が大きく膨らむようだ。様々な話も出来て、有意義な時間も取れる。電車旅・・・時には最高の贈り物かもしれない。
子供の成長って、本当に早いものだ。自分の子育ての時には、いつまでも子供のつもりでいて、ある日とつぜんその成長に驚かされる。いつも会っていない孫の場合、会う度に変わっている事に驚く。親はいつまでも子供のままでいると思い、うるさく注意ばかりしてるが、実は数ヶ月で大きく変わっているのに、それに気付いていないようだ。こういう日常の変化にもう少し注意を傾けていたなら、子供達の成長ももう少し違っていたのかもしれない。二人の孫を見てると、子育てに係わっていた時間を大事にすべきだったと反省する。
東武浅草駅から、東京メトロ銀座線で上野駅まで移動。上野から東京駅まで行く。他のルートの方が料金の節約にもなったのだが、ハル君は興奮すると直ぐにトイレになるので、先ずはトイレを中心に考えた。「国内旅行業務取扱管理者」の勉強で、運送料金や駅構内見取り図も見ていたので役に立った。
子供の視点は面白いもので、何故かこの地下鉄での移動が周囲を真剣に見ていた。田舎の子供にとって、それだけ地下鉄は驚く事なのだろう。
今回の旅行目的は、ハル君の電車好きに付き合い「スーパービュー踊り子号」に乗る事だが、どうしても行ってみたかったのが、東京駅の煉瓦作りの駅舎外観を見る事だ。何度も行く機会がありながら、若いときは本の購入が目的であり、最近は別の用事でも、反対側の八重洲口ばかりで一度も見た事が無かった。今回をチャンスと、駅舎内の見学もした。
乗車券は「東京山手線内・伊豆急下田駅」間往復乗車券なので、本来は東京駅ドームの見学や、外からの駅舎を見るには改札を通らなければならない。この乗車券で改札口を通ると、以後使用できなくなる。なので、自動改札機横の案内所に行き、乗車券と人数の確認をして出入りをする。山手線内なら、この方法で改札口が通れる。この事って、意外と知られていないが、東京駅舎の見学には必要な知識だと思う。
1930年11月14日に立憲民政党の濱口雄幸が銃撃され、1921年11月4日には政友会の原敬が暗殺された。経済学者の大野信三先生は、濱口雄幸が銃撃されたときに偶然にも東京駅に居合わせたそうだ。先生はその後ドイツ留学をされ、スーパーインフレを経験されたそうだ。多くの思い出話の中で、その時の事を聞いた事がある。今回はその事を思い出し、東京の駅舎外観を改めて見たかった。あまりにも近代的に、便利に改装されて往事の面影などは無いだろうが、貴重な歴史としての痕跡は残されている。参考までに、こちらも。
スーパービュー踊り子号で下田へ
東京駅から伊豆急下田駅までの「スーパービュー踊り子号」は素晴らしかった。1号車の1のA・B、2のA・Bだから、眺望は最高。唯一の難点が、今回の車両に関しては運転席上部が曇っていて、眺望の素晴らしさが半減した事だ。
1号車は下がサロンになって、自由に使える。実際は誰も使う事が無く、チーちゃんの楽しみにしてた駅弁を食べた。飲み物はコーヒー・紅茶・日本茶・ジュース等おかわり自由で飲める。ちなみに2号車は、下が4人用のコンパートメントになってる。こちらの方が気になっていたが、子供のためには仕方ない。次回の楽しみに回そう・・・って、次回は有るのかなあ。

1号車両に乗る人達は、外の景色を楽しみたいのか、あるいはユッタリとしたシートと広い足下なので貸し毛布でベッドがわりに寝ていたいのか、下のサロンを使う人は居なかった。2階の展望席よりも、こちらのサロンの方が子供達には喜ばれた。オモチャは無いけど、広いサロンで自由に遊べるからね。
黒船遊覧船とペリーロードの散策
当日の宿は「下田伊東園ホテルはな岬」。宿泊費は娘が負担。格安ホテルだが、小さな子供が一緒ならこの方が良いのかも。孫との時間も良いが、あまり小さいと煩わしさも感じる。孫は可愛いと言うが、薄情なのかあまりそうとは思えない。いくら大きく成っても、やはり孫よりも自分の子供の方が大切に感じるし、いつまでも心配の種ではある。孫は、会えば楽しい時間も過ごせるが、帰ると嬉しく思えるときもある。

翌日は黒船を模した遊覧船で海に出た。男の方が乗り物が好きなので大はしゃぎだった。上部2階部分は別料金だが、カモメが近くに餌を求めて寄ってきて、手から取るので面白い。

今回初めて気付いた事は、チーちゃんが意外と良い写真を撮る事だ。下田の町並みも、独特な視点で写してた。残念だったのは、前の晩にデジカメの設定をいじってしまい、自動では無く露出過多になってしまった事だ。惜しかった。
風景や、特に古い建物に興味があるようだ。カメラを構えては撮影して、時にはジッと見ている。
ナマコ壁にも興味があるようだが、壁全体というよりも建物の全体が好きなようだ。ペリーロードの両側には、チーちゃんの好奇心をかきたてる建物が多かったようだ。
橋のたもとの小さな喫茶店?パブ?。この建物、映画で見たような気がする。「伊豆の踊子」だったのか、それとも「青い山脈」だったかなあ。もう半世紀も前の作品だったように思う。川に面した方は気に入ったようだったが、表には雑多に時代物の小物が置かれ、タレントが訪れた写真が何枚も貼り付けられていた。多くの観光客は歓声を上げていたが、こういう物にはチーちゃんには興味が湧かないらしい。
ペリーロードの、川沿いの小物店や民家の建物、そういう何気ない、ごく普通の小さな玄関などの作りに興味があるようだ。
自分の気に入ったショットを狙ってか、腰をかがめて街角の小さなお店の入り口や、何気ない小物を写してた。設定で露出過多になってなければ、かなり良い写真になっていたのに残念だ。
パパはカメラ技術の専門学校や、歯科技工士の学校も出てる。無駄に余計な事ばかり勉強してたと言ってたが、子供達の歯科衛生やカメラの趣味の指導には十分すぎるくらい役に立ってるようだ。目指せブロガー、数学者よりも面白いよ。

伊豆半島の温泉と食、伊豆の宿 を楽しみながら歩いてみたい。