桐生市元宿町の古義真言宗寺院、慈丸山心応院聖眼寺にて御朱印を頂く。真言宗の数珠と巡礼時の教本を購入したかったのだが、寺院では置いてなかった。一応は墓は日蓮正宗だが、幼い頃に親族の菩提寺である鶏足寺や恵性院、真言宗豊山派の御僧侶に親しんでいたので、何となく聞き慣れていて馴染んでしまうようだ。これからも観音巡礼をするには、真言宗の教本と数珠が欲しかったのだが。
聖眼寺
慈丸山心応院 聖眼寺(じがんざんしんおういん しょうげんじ)
宗派:真言宗古義高野山派
本尊:大日如来
(前略)
当山聖眼寺は、大永年間(1521~1527年)には寺として、今の場所ではなく、本宿(元宿)と堤村(堤町)の中間御坊木という場所にあったといわれている。今でも石塔や五輪塔の出土する場所があるらしい。そこが宗祖弘法大師の説く、真言密教根本道場として、寺中に六坊が置かれ、桐生城主より寺領八十石を頂戴、寺運は大いに栄えていた。元亀2年(1571年)から桐生氏と由良氏との間で、渡良瀬川の水論に依る合戦となり、桐生氏敗北、聖眼寺もその兵火に依り全山焼失。
後に、弘算法印の求めに応じ、新居氏は先祖新居豊前の屋敷内、南方一町七反の馬場を再建の地として寺に寄進した。天正11年(1583年)に弘算法印は高野山に登って大葉院末寺となりその上に血脈法流の伝授を受けて開山となった。天正19年(1591年)家康より御朱印三十五石を戴いた。
(後略)
本堂への途中の右に庫裡があり、受付で御住職に御朱印をお願いして、本堂に行く。奥様のご配慮により本堂内外陣と、左内陣の千手観音様にも灯明を頂き、大日如来・千手観音に勤行をした。しばらく巡礼と離れていたので、思うように声が出なかったのが残念に感じた。
聖眼寺の御朱印
初めて御影様を頂いた。どの様に保存したら良いのか迷う。


梅の花の蕾が膨らんでいた。もうじき開花になるのだろうか。聖眼寺は桐生市の外れの位置で、静かな環境の中に歴史を感じさせる佇まいがある。あまり訪ねる人も居ないようだが、落ち着いた境内は心が落ち着く。檀家の人なら静かな環境の中、本堂で毎日でも大日如来本尊前で勤行が出来るのだろう。羨ましい。
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