義国神社と大田・桐生の青蓮寺

太田市の義国神社に行った。先の鑁阿寺に行き、義国公の墓に詣でてて、何となく太田市の義国神社に行ってみたくなった。義国神社が本当の源義国公の墓所らしい。太田市の義国神社は、かつての広大な敷地の居館跡にある。また居館跡は青蓮寺になった。金山城主由良成繁が天正三年(1575年)に桐生氏を滅ぼし、青蓮寺を今の桐生市西久方に移築した。青蓮寺は太田市と桐生市、2つになった。桐生市の青蓮寺の御朱印を頂いてきた。

義国神社|太田市

義国神社

義国神社は太田市の青蓮寺から、畑の中を200mくらい離れた所に有る。ここも元は義国公の敷地内なのだろう。いかに広い居館であったのかを感じられる。

義国神社前の看板

義国神社前の看板
源義国を祭神とするこの祠は、久しく義国天神と称され、村人によって崇敬されてきた。元文4年(1739)8代将軍徳川吉宗は、義国院祭祀料として、白銀5枚を奉納し遠祖の霊を追杞したという。明治10年群馬県より神社号を公称することを許された。義国は八幡太郎義家の3男として生まれた。新田氏の祖義重・並び足利氏の祖義康の父であり平安時代の武将であった。帯刀長(皇太子を警固する役人の長)となり式部太夫従五位下加賀介に叙任された。右大臣実能の屋敷を義国の郎党が焼討したことにより天皇のおとがめを蒙り下野国足利に引きこもったが、のち出家して荒加賀入道と称し新田に居住し、久寿2年(1155)6月26日に没したと言う。義国の孫矢田判官足利義清が備中(岡山県)の水島の戦いの前に、寿永2年(1183)10月朔日、祖父義国等の供養の為納経した大般若の奥書に「為供養、上野国新田住式部太夫加賀介従五位下義国…」とあり、義国は新田の地で没したのでないかと推測される。祠の裏手には、義国の供養塔と称せられる五輪塔の残欠があり、その没年が記されている。なお祠前には観応2年(1351)の板碑がある。      
昭和57年3月     大田市教育委員会 

義国神社

義国神社前の石版

義国公の墓

神社裏手に義国公の墓と思われる、石の祠と小さな墓石らしき石積みがあった。

義国様、ありがとうございます。

青蓮寺|太田市

青蓮寺本堂

岩松山義国院 青蓮寺(がんしょうざんぎこくいん しょうれんじ)
群馬県太田市岩松町609
宗派:時宗
御本尊:阿弥陀如来
開基:源義国
開山:源佑

青蓮寺案内看板

青蓮寺の案内看板
青連寺は岩松山義国院と称し、源義国の創建といわれる。はじめ律宗であったが、公安年間一遍上人関東布教の影響を受けて時宗に改めた。寺はもと東方(岩松山跡)に建てられたが、江戸初期村人によりここに移建去れたという。境内地は義国の居住跡と伝えられ、西方中屋敷(三菱電機構内)と共に岩松氏館跡といわれる。新田岩松家の崇敬が厚く、また徳川将軍家より義国院追善料として寺領25石を与えられた。
文亀年中(1501-1503)金山城主岩松尚純は政務を家臣横瀬氏に任せ、静喜庵梅と号し岩松に閉居、風流の道に道に入った。連歌師宗長と親交があり、宗長日記「東路の津登」に永正6年(1509)8月「上野国新田の庄に礼部尚純ありて今は静喜かの閉居に5・6日連歌たびたびにおよべり」と、また「岩松の道場」とあるのは時宗道場青連寺である。尚純は連歌の達人として有名であり、自画自賛の画像を青連院で秘蔵している。
青連寺の日限地蔵は、享保年間(1716-1735)村中に疫病がまんえんしたため、江戸白金の松秀寺から「地蔵尊」を勧請し祈願したところ悪疫退散の効果があったので、日を限って願をかければ満願の日には必ずかなえてくれると信じられ、いまでも縁日(4の日)には願かけの人々が訪れている。
 ここでは県下でも珍しい「間引き」の絵馬二面が奉納されている。子育ての信仰から、間引きの悪習を戒めた貴重な民族資料である。
昭和54年3月   大田市教育委員会 

青蓮寺 山門

新田・足利両氏の祖である源義国が開基となり、源祐律師が創建したと伝えられている。後に一遍上人の影響を受けて時宗に改宗した。天正三年(1575年)桐生氏を滅ぼした金山城主由良成繁が桐生入部の際に、桐生(現桐生市西久方)に移したために一時期寺運は衰えた。

「日限地蔵」
日限地蔵 (ひぎりじぞう)は日本各地に存在する、「日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわれる地蔵菩薩。
安土桃山時代、蘆名盛氏へのある夜の夢のお告げで黒川城の堀から見つかったとされる3体の地蔵菩薩像を日限地蔵として祀った西光寺(会津若松市)をきっかけとし松秀寺(東京都港区)から全国へひろがった。
ウィキペディア(Wikipedia)より

今の青蓮寺は「日限地蔵」霊場でもある。

青蓮寺 山門

江戸時代初期に、徳川氏発祥の地として寺領二十五石を与えら、以降寺運も再び盛んになった。いま訪れると、往事の隆盛を感じられる山門のみの様で、寂しさも感じられる。立派な山門には運慶作(?)の金剛力士像が、風雨にさらされて荒れているのも寂しさを感じる。

義国公と新田義重(義国公の子)は、青蓮寺を含む岩松の地を中心に広大な土地に暮らしていた。青蓮寺を中心に「太平記の里」として、徳川氏発祥の土地として、今に残る太田市の礎を築いた。

山門

青蓮寺|桐生市

青蓮寺本堂

仏守山義国院 青蓮寺(ぶっしゅざんぎこくいん しょうれんじ)
群馬県桐生市西久方町一丁目10番11号
宗派:時宗
御本尊:阿弥陀如来
開創:天正三年(1575年)
開基:由良成繁

青蓮寺 山門はない

信州善光寺の秘仏本尊を模したとされる善光寺式阿弥陀如来三尊佛が、太田の青蓮寺から移設された時に、阿弥陀如来像も移されたようです。平成19年(2007年)6月8日に「銅造阿弥陀如来及両脇侍立像 三軀」として国指定重要文化財に指定されています。

本堂と一遍上人像

本堂の建築や彫刻は素晴らしいもので、如何に桐生市の織物産業での経済力が凄いものであったのかが窺われる。

もう少しジックリと散策し、本堂内の建築や彫刻も見たかったが、時宗の特徴とでもいうのか、数人の若い女性が本堂内で御住職と話していた。内容は分からないが、何かの相談事かもしれないと控えた。後日また訪れてみたい。

桐生市の青蓮寺御朱印

青蓮寺御朱印

御住職がいれば直筆の御朱印を頂けるが、今回は書き置きを頂いた。本堂前の、参道途中に地蔵堂があり、お地蔵様と福禄寿とビリケンが祀られている。御朱印の種類もたくさん有るようです。

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