四万温泉|国民温泉保養地第1号にふさわしい

四万温泉は標高700mの高地にある、四万川に沿って温泉口から四万湖に至る約3kmの、山に囲まれた1200年の歴史を持つ、群馬県でも草津・伊香保・水上と並ぶ有名な温泉地です。泉質は「ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉」で、古来より四万の病に効果があるといわれている。四万温泉はその豊かな自然環境の中にあり、身の病だけではなく、心の病や精神の落ち着きも取り戻すことも出来る。戦後初の、国民温泉保養地として第一号の指定もされた。

深山幽谷に湧く四万の病に効果のある四万温泉

四万温泉の町並み

四万温泉は約40件ほどの宿泊施設がある。中之条から山の奥に入った、四万川に沿った狭い地域だ。子供の頃は、四万温泉と聞くと当に秘境というか、山奥に分け入った温泉地という印象を受けていた。大人達の話しの中にも、四万温泉は道が狭いとか、何も無いただの山だけの温泉だと聞いていたので、ついつい足は遠のいていた。

今も残る御夢想之湯
源頼光の家臣碓氷貞光が、永延3年(989)越後から上野国へ向かう時にこの地に立ち寄り、夜に読経をしてると童子が顕れて、湯の湧き出ることを告げられた浴場が今もある。狭い共同浴場だが、お告げにより開湯された「御夢想之湯(こむそうのゆ)」「日向見薬師堂」として現在まで護られている。また古くは、延暦年間(782~805)に、征夷大将軍坂上田村麻呂が立ち寄ったという伝説も有る。

娘の話では、四万温泉は群馬の温泉の中でも最も良い所だという。温泉の効能以上に、この地に居ることで心身ともに安らぐそうだ。最近の温泉ブームに乗って、どうやら若い女性達にも、何も無いこの四万温泉は好まれてるようだ。

確かに四万温泉を訪ねてみると、四万大橋から始まる温泉口地区から奥四万湖までの道のりは、四万川を挟んで二本の道が並んで続いているだけだ。主な道は四万大橋を渡らずに、四万川の渓谷を望みながら高い山に挟まれて続く、温泉口から山口・新湯・日向見までの、四万湖まで続く約3kmの道だ。

戦前まで、四万の病気に効くということから、長逗留の湯治客が多かった。群馬の温泉を愛した文人達、高村光太郎、太宰治、斎藤茂吉、井伏鱒二など、当然ながら四万温泉にも逗留していた。

温泉の個性としては、あの強烈な強酸性泉質の草津温泉の方が勝っているように感じるが、草津の湯は「惚れた病にゃ~効きはせぬよ~」と言うが、四万温泉は精神の病にも効果があるそうだ。心の病も癒すほど、温泉と山々と人の人情は素晴らしいものがある。

キータン
ジイちゃん、本当に四万の温泉は精神の病に効果が有るの?
恕衛門
四万温泉の泉質は「ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉」です。「ナトリウム・カルシウムー硫酸塩泉」は痛みを和らげ、鎮静効果が有ります。塩化物泉・硫酸塩泉はうつ状態に、二酸化炭素泉は自律神経不安定症の改善に期待できる、そうです。四万温泉の素晴らしさは、その泉質だけでは無く、周辺の自然も含めた転地療法の効果が大きいと思います。狭い地域なので2泊もすれば、四万温泉地内のほとんどを巡れます。肌に優しい温泉と、飲泉で体内から体調を整え、美しい自然の中で時間を過ごすと、様々なストレスも消えて転地療法の効果も実感できます。

狭い道の続く四万温泉街

温泉口から続く道のりは狭く、狭い道を挟んで小さなお土産屋さんや民家が僅かに並んでいる。その間に大小40軒ほどの旅館やホテルがある。派手な遊技場もなく、歓楽街的なものなど全く無い。建物が綺麗に成り道が舗装整備された他は、多分戦前とほとんど変わっていないのだろう。

道の両側には小さな旅館・民宿が建ち並ぶ

四万温泉と真田昌幸
「御夢想之湯」の横には、沼田城主・真田信幸(信之)の武運長久を祈願して建てられた、国の重要文化財「日向見薬師堂」が有る。この信之の父・昌幸が戦乱により荒らされた村を復興し、四万村の人々の為に道の整備をし、湯治場としての基盤を整備した。後に有名な武将達も訪れるように成り、明治の頃まで続く長逗留の湯治場として有名になった。

「四万清流の湯」「四万こしきの湯」は中之条町営日帰りの湯として整備されている。この四万温泉には、5ヶ所の共同浴場と3ヶ所の飲泉所と1ヶ所の足湯があるという。3kmと言ってもさほど長い道とは思えない。

歩くことに気を向ければ山なので坂道だが、渓谷や山を眺め散歩をしながら、共同浴場を巡るのも楽しいかもしれない。このノンビリとした時間の流れの中での散歩は、確かに草津の湯では治せない心の病も治してしまうようだ。

歴史と自然と温泉とホテルと旅館

四万温泉を有名にしたのは、四万川に架かる朱塗りの橋を渡った先の、元禄7年(1694年)創業の老舗宿「積善館」の、木造作りの内湯「元禄の湯」だろう。木造二階建ての宿だったが、ブームに乗って更に増築されている。

積善館

宿泊は別にして、四万温泉に行く機会があるなら、一度はこの「積善館」の、いわゆる大正浪漫の「元禄の湯」を楽しんで欲しい。朱塗りの橋の手前にある古い建物が、今は使われていないが、積善館本館として群馬県指定重要文化財に指定されている。1800年以前に建てられた、かつては庄屋としての勤めもしていた家柄を顕わす見事な建物だ。

四万グランドホテルの下には、川縁に共同浴場がある。前を流れる二本の川が合流する所にあり、その川の水の色が違うのが分かる。温泉と同じ泉質なのだろう。残念ながら時間が無くて入れなかったが、次回はぜひ入ってみたい。「積善館」や「四万グランドホテル」を過ぎて、更に先に行くと「四万たむら」がある。

四万グランドホテルと共同湯

老舗旅館四万たむら
岩櫃城城主の斎藤憲広が、真田幸隆(昌幸の父)に攻められて越後に逃れた。城主に伴い逃れたが、四万の地に留まり追手から防ぐ役を引き受けたのが田村甚五郎清正。後に帰農して四万山口に湯宿を開いた。3代目の彦左衛門は分家し新湯に宿を開業(現在の四万たむら )し、彦左衛門は真田昌幸から湯守に任命された。

1200年以上も前に湯治場として開け、幕末から明治のはじめに掛けて火災や榛名山の噴火で道が分断され、寂れてしまった。明治後半に道は整備され、再び湯治場として文人達に愛されるようになった。戦後、昭和29年には国民温泉保養地としての第1号の指定地となった。胃腸病に効くという飲泉、衰えることのない大量の湧泉量と、肌に優しい泉質と、山間の人達の人情は昔から少しも変わる事がないのだろう。今も訪れる人達の四万の病を治し、心の病も治し続けてくれるのだろう。

恕衛門

四万温泉は山に囲まれ、四万川に沿って幾つもの旅館が建ち並ぶ湯治にも良い温泉地です。民宿の様な小さな旅館も良いです。有名な旅館も、また良いです。個人的には四万グランドホテルにお世話になる事が多いです。様々なストレスや気持ちの落ち込みの時には、妻も好きだったここに2泊から3泊位して、温泉地内の散歩をし、疲れたらまた温泉に入ります。ビュッフェスタイルの夕食も朝食も美味しいし量の調整も自由です。何よりも一度部屋に入れば一人でノンビリ過ごせます。

昔ながらの温泉街の小道

閉鎖された 湯の泉
四万温泉は俗に清流の湯といわれるくらい湯量が豊富で、四万ダムの更に奥には「湯の泉」という川の中に掘られた共同浴場?が有った。近年の秘境の湯ブームで大勢の人が訪れるようになったが、余りにもゴミの散乱等で自然が汚されてきたので、終に閉鎖となってしまった。群馬の自然と温泉を愛する者として、心ない人達によって汚され、閉鎖をしなければならないように成ることは残念で仕方ない。

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