痛風の発症前、最高にイライラと不安感と、遣り場のない怒りのような感情で一杯だった。自分自身に対しての怒りが、今までに無いくらいのストレスになり、ストレス喰いが始まっていた。体重は98kgまでになっていた。
2004年9月4日(土)
仕事を早めに辞めて、妻と近くの日帰り湯に行く。何となく最近仕事に対しての意欲が湧いてこない。どんなに頑張っても、前工程に問題が有っては、対応の仕様が無い。疲れだけが溜まって、気分だけは何故かただただイライラする。毎年のように繰り返す借り入れで、イライラだけが募ってしまう。
思えば前取引先当時の、半分以下の収入になっている。引き抜かれたときの条件とは、あまりにも違いすぎる。一度は止めたものの、また戻ってきてくれと頼まれ、今度は型も改良すると言っていたが、死期が分かっていたので呼び戻しただけだったのだろうか。
最後に二人で話したときに、「何かあったら頼む」という、あの一言でもう二回もチャンスを失った。あれは何を「頼む」だったのか。何の恩義もない、むしろ何も良いことなど無かったのに、何を頼まれたのか。
その後まもなく社長が亡くなり、奥さんが後を継いだ。自分が中心的に溶接を担っていてので、離れられなくなった。大事な決断に、私情は要らなかった。
そんな気持ちで駐車場に着いた時に、何となく右足の親指付け根の、下のふくらみに違和感を覚えた。疲れているような、重だるい様な、変な感覚だった。そういえば最近、時々同じような感覚を布団に入ってからや、起きた時に感じた。月に1度か2度有ったが、あまり心配もしていなかった。この日も、ただの足の疲れくらいに思った。
この日の風呂は、さすがに土曜日とあって、非常に混んでいた。風呂の中に入ると、足の倦怠感のような、腫れのような感覚は消えたが、風呂から出て休むとまたあの感覚が戻ってきた。家に帰ってからは更にその範囲は広がり、足首の辺りまで感じてきた。重怠いような、腫れているような、変な感覚だ。しかし、その事を忘れるほど腹が立っていた。
風呂の中の椅子で休んでいると、3人の子供を連れて父親が入ってきて、かけ湯の、あの狭い中にドップリと首まで入ってしまった。何という非常識なバカ親かと、ジッと見つめていたら、多少は感じたらしく、こちらを見ながら出たが、子供達もバカ親をまねて同じように入った。
親がバカな非常識な見本を示せば、子供もバカに成る。最近の子ども達の非常識さは、こういう親が原因だ。分かっていながら、わざと非常識なことをしてふざけてみせる。実にイライラする。
仕事でイライラし始めると、何に付けてもイライラが増幅されるようだ。
一人ずつ区切られているジャグジーを見れば、数人が空くのを待っている様子だった。その混んだ中で、2人の60歳代の大人が、頭を乗せるところに腰掛て、股を隠しもせずデカイ声で訳も解らない事を話している。
良く聞けば最近の入社してきた若い者は、などと言っていた。そんな事が言えるのか、お前らクソジジィが。お前らのように自分を見られなくなった老人は、害毒振りまくただの死に損ないだ。お前らの教育がだらしないから、ああいうかけ湯に入るような馬鹿者が出て来るのだ。
家に帰ってから、思いっきり飲んだ。最近、酒量が多くなった様に思う。飲まなければ、どうにも眠れないようになった。他人が無責任で、その無責任さの中、何故自分だけが頑張ろうとしているのか、そんな事ばかり考えている。
この溶接はほぼ完成しているのに、教えるべき後が居ない。等というのは言い訳で、止めたくても次の仕事が無いだけだ。あまりにも特殊すぎて、同じような物がない。もうチャンスなど来ないだろう。
9月5日(日)
朝起きると、右足の親指付け根が妙に痛い。激しい痛みではないが、歩くのに不自由する程度に痛い。歩くのにビッコを引くようになった。最近暑いのでサンダルにしたが、いわゆる健康サンダルとかの、あのポッチで足の裏が押されたのだろうと考えた。そういう感覚の、重苦しい、とにかく妙な疲れのような痛みだ。
午後から仕事をしたが、明日の納品に間に合うだけにして、早めに休む事にした。明日は早く起きるので、普段よりも多く飲んだ。最近は仕事でのストレスから、かなりの量のアルコールを飲まないと寝付かれない。
飲むのは良いが、飲む度につまみの食べ物の量が多いので、これが肥満の原因だろう。神経質なのか、納品日の朝は早くおきてしまう。4時には目が覚めてしまうので、早く寝ないと寝不足になる。
思えば、西川口の前取引先の時は、この早起きが楽しみだった。収入も現在の2倍以上だったし、前工程に多少の問題はあっても、溶接に関しての問題など起きなかった。多少のストレスはあっても適度のもので、健康面から見ても理想的だったかもしれない。
収入が2倍有ったといっても、充分な貯金が出来るほどでも無い。生活に困らない程度で、子供達を学校に入学させる事が出来る程度だ。今はその半分という事だから、毎年借り入れをしなければ成らないのも当然かもしれない。ここ数日間、どうしても収入が気になっている。来年早々にまた借り入れをしなければならないかも。
いくら説明しても前工程の問題は解決されていないし、前社長が亡くなってからは、より悪くなってきた。しかも最初に1割の値下げ、更に1割の値下げだ。現状の不況から仕方ないのかもしれないが、仕事量自体も減ってきた。今年になって若干増えてきたが、前工程が悪く成るばかりで全く改善されず、SUS溶接棒も値上げで、やる気もなくなってきた。
他社に移れたのに、何故ここを止めて他社に移らなかったのか、今になって反省している。人の事ばかり考えて、「自分ばかりが損をしている」って、何かの小説の前段部に有ったように思うが。
9月6日(月)
相変わらず痛みは有るが、昨日ほどではない。歩くのに全く問題は無い。ただし今度は範囲も広がり、足首が重く、何となく歩くのに不自由さを感じた。運転に対して、多少の不安感が有った。
納品から戻っても、痛みの具合は変わらない。痛み以上に、最近の前工程が溶接に向かなくなって来ているので、最高にイライラが募る。もうこの溶接は止める時期に来ているのかと考えるが、最低でも現在の収入が確保できなければ。
早く名刺代わりの溶接のHPを作らなければと強く思う。もっとも、HPを作ったところで、それで別の仕事が見つかる事など無いだろうが、何かしてないと不安になる。
止めれば取引先が困るだろう。また、隔年100万ずつ借り入れを起こしてきたのは、何とか取引先を立て直したいと思ったからだ。止めてしまえば、今までの苦労も全く無駄に成る。しかし、どんなに頑張ってみても、今の自分の気持ちは周囲に理解できないだろう。それ以前に、何故そんなに頑張ろうとしているの、自分で自分が分からない。
朝飯を食べていないので、イライラが募るのかもしれない。子供を誘って焼肉屋に行く。子供も育ち盛りと言うには歳を取っているが。相変わらずレバーを良く食べる子だ。レバーは大嫌いなので、見ていると気持ち悪くなる。
肉は自制して、イカやサラダを食べる。イカを半生程度に焼くと、軟らかくて美味い。2ヶ月ぶりの焼き肉だが、あまり食欲は無い。と言いながらも、タコやイカなど、かなり食べてしまったように思う。魚介類は大好物だが、ここはイカと小さなタコしかない。イカも厚肉が良いのにスルメイカだったが、仕方ない我慢する。
帰ったら夫婦喧嘩になった。何をしても責められてばかりいるようで、毎日が面白くない。我ながら子どもみたいだと可笑しくなる。夜になり布団に入ると、ハッキリした痛みを感じた。狭い範囲だが、足の下のふくらみが痛い。足の付け根から甲にかけても、叩かれた様な痛みを感じる。痛くて眠り難く感じた。痛がるのを感じたのか、起きてきてシップ剤を刷り込むように、マッサージをしてもらう。けっこう優しい所も有ると、感謝する。長い時間さすってもらうと、やがて痛みが消えて眠った。
通風-1|発症前はストレスと成人病だらけ
痛風-2|発症3日前からの違和感という前兆
痛風-3|発症の激痛
痛風-4|発症から1週間の激痛
痛風-5|激痛はいつまでも・・・泣けてくる
通風-6|まだまだ続く痛風の痛み
痛風ー7|いつまで続く痛風の痛み
痛風-8|1年間が過ぎて反省する事
痛風-9|痛風に対する知識も必要
通風ー10|最後に・・・