草津温泉の歴史

草津温泉というと、今は設備も整い宿泊価格も低価格から高級な旅館・ホテルまで揃っています。現代的な湯治の為に、朝食のみの旅館や素泊まり旅館も増えてきました。湯畑周辺には和洋中華からソバ・ラーメンなど、安くて美味しい居酒屋も多いです。安心安全な草津町は、好きな形での湯治が出来ます。

泉質は強酸性のph2.0で、様々な病に効果があります。湯治場としての長い歴史があり、19ヶ所の共同浴場もあります。この狭い地域内には多くの特徴のある源泉があります。

草津温泉の歴史

 

湯畑

草津温泉を見つけたのは日本武尊・行基・源頼朝という幾つかの伝説があります。それ程古くから知られた温泉というですが、近くの似た様な泉質の万座温泉には、更に古く縄文人の蹟が残っているそうです。万座とはそれ程遠くもなく、万座の何倍も大きな温泉である事を考えれば、かなり古くから知られていた事は想像できます。「草津」の語源は「くさうず:臭い水」から来たそうで、確かに草津町に着くと独特の硫黄臭があり、臭いです。最近はやっと草津や万座の温泉臭に慣れたが、長い間あの臭いには馴染めなかったなあ。もっとも一度あの硫黄臭を覚えると、疲れてくると草津の風景と自然と、硫黄臭を思い出して、あの熱い湯に入りたくなります。

 

西の河原

文書としての記録では、『吾妻鏡』の中に建久4年(1193年)8月源頼朝が浅間山で巻狩りを行った際に、草津に潜んでいた細野氏を見出し、湯本の姓を与えて草津の地頭としたとされています。この細野氏は木曾義仲の家来で、義仲が「宇治川の戦い」近江国粟津(滋賀県大津市)で、頼朝の命で討伐に来た源義経に敗れ、討ち死にした後、義仲の遺児を守って草津の地まで落ち延びてきた人物だそうです。以後、湯守をしながら北条氏や足利氏に仕えました。

湯治としての草津温泉が記録にあるのは文明4年(1472年)で、蓮如が1ヶ月間逗留し、多くの教えを残したとされています。既にこの頃には、全国的にも知られた湯治場となっていたようです。その頃の湯治の方法としては、宿での内湯を使うのではなく、共同浴場を使っていたようです。宿は休憩用であり、宿泊のための施設だけだったようです。また強酸性の温泉の為に、当時は番所に刀を預けていたようです。刀の腐食を防ぐという事と、みな等しく病を癒やすために来てる同じ人間同士という事もあったのでしょう。湯治宿は、冬は雪の為に生活が出来ず、山を降りて閉鎖をしていたそうです。

草津温泉湯畑周辺の生活
何と、湯畑周辺のお店のショーウインドウなども数年で腐食するとか。一般家庭での金属類も腐食してしまうので、特別仕様になってるようです。それでも電気器具類などの故障も起きるそうです。宿の蛇口も真っ黒ですよね。

戦国時代には湯本氏が湯治客から得た湯銭を、真田氏に納めたり、全国の大名に硫黄を送ったりしてます。豊臣家に近い家との交流が多かったせいか、また近在には豊臣氏依りだった者が多かったせいで、徳川家康始め家臣達は草津には来なかった様です。江戸時代初期には真田氏の沼田藩に、その後は天領地となりました。湯本氏は沼田藩の家老に成ったようですが、本家は断絶させられました。

江戸時代初期までは単なる宿泊施設であったのが、中期頃には温泉湯治場として草津温泉は有名で、宿の中にも湯を引くように成り、温泉宿が出来ました。江戸後期の戯作者、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の続編である『続道中膝栗毛』にも、草津温泉は書かれていたと記憶しています(曖昧ですみません。まだ温泉に興味の無かった時に読んだ覚えがあります)。この頃から草津付近の温泉を、特に川原湯温泉などを「草津の上がり湯」などと呼ぶように成り、草津と共に栄えるようになってきました。草津はph2.0という強い酸性の為に、肌には強い刺激となり、それを整える為に川原湯温泉のような弱アルカリ泉などが良い事を、自然のうちに分かっていたようです。

 

湯畑

明治に入りドイツ人の医師ベルツにより、草津や伊香保温泉の効能が紹介され、更に発展する事になりました。草津温泉とその周辺の豊かな自然が世界に紹介され、草津温泉は世界的にその名前が知れ渡るようになりました。

草津温泉の主な源泉

一般にいわれる草津温泉には、約100ヶ所の源泉が有るといわれています。最も知られているのが以下の6カ所の源泉で、草津全体の4割の湧出量だそうだ。

野湯は危険です
草津温泉の近くには有名な野湯が16カ所あります。ちょっと興味も有りますが、絶対に禁止です。窪みに貯まった自噴泉は、同時に硫化ガスも噴いています。野湯の周辺に貯まっていて、かつては死者も出ているそうです。周辺は活火山であり、有毒ガスも噴出してる地域もあります。温泉も冬のスキーも四季折々の自然も、安全に楽しみましょう。

湯畑源泉

温泉街の中心に位置し、草津を象徴してます。沈殿してる酸化した硫黄分を採って「湯の花」をを作っているので、湯畑の名になりました。特徴としては無色透明・酸味・硫化水素臭があります。湯畑周辺の旅館に使われています。

湯畑源泉の泉質
酸性-硫酸塩・塩化物泉(酸性低張性高温泉):ph2.08:55.7℃:湧出量4437L/分

白旗源泉

湯畑の少し上に位置し、硫黄臭が強く白濁し、強い酸味を感じるのが特徴です。共同湯の「白旗の湯」に使用されています。「白旗の湯」は草津温泉を代表する共同湯で、湯畑の横に在ります。草津温泉に来たら、絶対にはいって欲しい有名な共同湯です・・・が、相当に熱いですよ。いくらかヌルい方でも入るのが・・・、奧の熱い方には入れれば、オミゴト。熱いのが苦手な人には、直ぐ近くに町営「御座の湯」があります。

白旗源泉の泉質
酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉(酸性低張性高温泉):ph2.06:55.5℃:湧出量1508L/分

地蔵源泉

湯畑から離れた地蔵堂の側にある。白濁して強い酸味があり、硫化水素臭が有ります。こちらの共同湯は肌触りも良く、目の病にも効くといわれています。千代の湯とこの地蔵の湯は、草津温泉の時間湯を経験できます。個人的には、地蔵の湯と「わたの湯」が柔らかくて好きです。

地蔵源泉の泉質
酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉(酸性低張性高温泉):ph2.05:53.0℃:湧出量386L/分

西の河原源泉

幾つもの源泉が湧き出ている「西の河原公園」は有名です。湯畑と共に草津温泉を代表する観光地でもあり、足下から湧き出てくる幾つもの源泉を見ながらの散策も良いですよ。近くの「西の河原露天風呂」は、町営のとても広い露天風呂です。なお、読み方としては「にしのかわら」というらしいですが、ついつい「さいのかわら」と言っています。湯畑の西からきてるそうですが、あの風景は確かに広い河原のようです。

西の河原源泉の泉質
酸性-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉(酸性低張性高温泉):ph2.08:49.3℃:湧出量1400L/分

煮川源泉

無色透明で酸味を感じ、弱い硫化水素臭もあります。近くの町営「大滝乃湯」に、万代鉱源泉と共に使われています。
共同湯「煮川の湯」での苦い想い出は、夜にあの熱い湯に入ったとたんに地元の方が入ってこられて、共に草津についてお話しが出来ました。その人が湯船から出る時に「すごいですね。地元の者でもお客様のように長時間は入れる者はあまり居ませんよ」って、早く言って欲しかった。相当に無理をして入っていたので、喫水線のように胸から下が赤くなり、翌日は着替えをする度に痛かった。草津温泉は何処も熱い湯なので、無理はしないようにして下さい。

煮川源泉の泉質
酸性・含硫黄-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉(酸性低張性高温泉):ph2.1:51.6℃:湧出量689L/分

万代鉱源泉

無色透明で無臭。酸性度が強いせいか、肌への刺激がある。硫黄分はない。

万代鉱源泉の泉質
酸性・含ヒ素-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉(酸性低張性高温泉):ph1.7:95.4℃:湧出量6200L/分

草津温泉の特徴

草津温泉は強酸性(ph2)で硫化水素臭が有り、多くの病に効果が有ると言われて、今も日本でトップの有名な温泉地です。1200mの高地に位置し、豊富な湧出量を中心に人が寄って来て出来た街だといえます。高地に位置してるだけに、空気も澄み豊かな自然環境の中、森林浴にも適しています。近年は湯畑だけでは無く、周辺の整備も進み、安心で安全な温泉観光地になりました。多くの旅館やホテルが建っていますが、草津温泉には多くの素泊まり用旅館や朝食のみの旅館もあります。長期間の滞在には宿泊料金の安いこれらの宿を利用し、多くの食事所を利用するのも良いと思います。大衆食堂から純粋な和食、洋食中華の他、焼き肉・焼き鳥・うどん・ソバ等々、様々な食事が楽しめます。コンビニもあります。

湯畑から離れていても、ホテル旅館や様々な保養地としてのマンションが建つなど、温泉を主に発展してきています。群馬の大自然に囲まれた景観の中にあり、温泉と共にこの自然も堪能したいものです。この自然と豊富な温泉の中で過ごす草津温泉での時間は、まさに転地療法のお手本のようで、心と体にきっと効果が有るでしょう。