川原湯温泉の想い出

2008年、川原湯温泉を訪ねた。高校の時に、初めてのドライブでたどり着いた。あの頃を思い出して、家に戻ってから書いたものだ。

初めての川原湯温泉

川原湯温泉入り口2008年

川原湯温泉入り口

初めて川原湯温泉を知ったのは、確かまだ高校生の頃だった。16歳で軽自動車の免許を取り、目的もなくドライブして、1日かけてたどり着いたのが、まだ舗装もされていなかった狭い山道に入る、川原湯温泉の看板の前だった。

歓迎のアーチ看板を入って直ぐの辺りに小さな店があり、お婆ちゃんがいて、水をいただきました。土産を買うでもないのに、水の次にはお茶と小さな饅頭が出てきて、何を話したのかは忘れたがしばらく居た様に思う。

今思えば、確か駅前の道も狭く舗装もされていなかった様だ。単なる歓迎のアーチを見て、何となく入り込んだのが、川原湯温泉だった。随分と進んだ所に、狭い道に張り付く様に小さな宿があっただけで、温泉地としての名前など聞いた事もなかった。ダム建設が決まった頃ではなかったのかと思う。歓迎アーチの辺りで、ダム反対の看板を見た様な気もする。

嘉納治五郎別邸

温泉街に入る少し手前には、講道館柔道の創始者嘉納治五郎の別荘が在る。尤も、当時はそんな事も知らず、最近訪ねてみたら工事の資材置き場入り口に看板だけが立っていた。残しておいても、所詮はダムの底になってしまう。記念館として残しても無駄という事なのだろうか。

後に知ったのだが、川原湯温泉は草津の上がり湯とか、伊香保の奥座敷とか言われていたらしい。草津の強酸性の温泉は、時には肌に強すぎる様で、帰りに川原湯温泉の弱アルカリ性の温泉に浸る事で肌を整えたのだろう。また伊香保からは、榛名山を挟んだ吾妻側に位置している。この様に狭く、山肌にへばり付いた様な温泉街にしては珍しく、食べ物も美味しく、吾妻渓谷で知られる様に景観も素晴らしく、しかも芸子さんも居たと聞く。

喜八寿司・食堂「旬」

伊香保に湯治に来たお大尽が、ちょっと反対側の川原湯温泉に数日泊まるのも、当時としては贅沢な事だったのだろう。伊香保も当時は芸者さんも多く賑やかな温泉街で、それに比べて川原湯温泉は自然の中でゆっくりと過ごせる温泉地と思う。往年の話を聞くにつれ、さぞ賑わっていただろうと思うととに、隠れ宿というイメージも湧いてくる。

川原湯温泉の案内図

上毛カルタに「耶馬溪しのぐ吾妻峡」と有る。群馬県に住む子供なら、必ず一度は小学校の時に覚えさせられる。現在も暮れになると、小学校行事として競技会が行われている。もちろんこの「耶馬溪しのぐ・・・」は知っていたが、全くここだという意識はなかった。

王湯

草津や万座に行く時に吾妻渓谷を通る。何となく良い景色とは思っても、吾妻渓谷は道の下の吾妻川沿いであるせいか、ほとんど興味はなかった。ダムによって湖底に沈む事を知り、急に見ておきたくなり、更に忘れていた川原湯温泉を思い出した。盛んな新緑は見る時間もあるが、紅葉の美しさはその時期に巡り会えるチャンスは少ない。旅館でせせらぎを聞き、周囲の紅葉を見る事も、もう出来なくなる。

王湯下の源泉

二十歳を過ぎた頃、やはり何となく中之条方面にドライブをし、川原湯温泉駅の前まで来た。高校の時の頃を思い出し、懐かしさもあったが、アーチの先には進めない様な殺伐感を感じた。住民とは違う、ある意味責任感のない旅人の様なもので、ダムなどは無関心であったせいか、ダム反対の立て看板は人を寄せ付けないものがあった。もし今の様な年齢であったなら、年齢と言うよりも、今と同じように群馬の自然に誇りを感じていたら、きっと反対運動に協力していただろう。

川原湯神社

戦国時代からの物語を秘め、更には日本武尊伝説にまで遡る、温泉と大自然という豊かな自然環境に包まれてきた川原湯温泉。残念な事だが、険しい山と渓谷に挟まれた、この狭い通りに張り付く様な土地に護られてきた温泉が消えてしまう。東京の水瓶という事だが、東京は偉大な自然と引き替えに水を手に入れる。本当に現在も、東京は水を必要としてるのかは疑問だが、日本の公共事業は動き出したら国民の意思に拘わらず止められない。

川原湯温泉街道

長い時間と莫大な予算を注ぎ込み、更にこの温泉と同じ水質の中和とダム設備維持の為に、東京都を始め多くの自治体は巨額の予算、住民の税金を注ぎ込み続けなければならない。出来たら終わりではなく、永遠に税金を使い続けるのだから、都民は大事に使ってもらいたいものだ。一つの都市の為に、これだけの自然を消してしまうのだから。

露天風呂「聖天様の湯」からの道。行けば良かった、残念。

群馬の中でこれだけの事業が進んでいながら、若い時にそんな問題とすれ違いながら、何も述べられなかった事が残念に思う。久々に狭い川原湯温泉街の道を歩き、この自然、空を飛ぶ野鳥や木々の間に潜む動物たち、長い年月を耐え自然と同化してきた野仏や神社仏閣、そしてこの地の人々の中に伝わった多くの民話や生活の知恵や自然との付合い方も、同じ群馬県人で有りながら、全くの無関心であった為に、消え去ろうとしている。

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