由来の解らない神社 

足利市小俣町を通る県道227号線、笛吹坂の下あたりに古い神社がある。由来も解らない神社だ。神社なのかどうかも解らないが、ここには懐かしい思い出がある。果たして現実なのか夢なのかも解らないし、あの時の人達さえも思い出せないが、それでも通るといつも懐かしさを感じる。

HOME恕衛門主夫学雑記帳サイトマップ

生まれたときは死産だったのか

小俣に入る白髭橋から見た桐生川。ここから遠くに見る赤城山はとても綺麗です。この土手は桜の木が植えられ、春はとても美しい風景でした。

 実家の長男だった父が、戦後まもなくの頃鉄工所勤めの傍ら、家の農業をしていた。昔は大きな農家だったようで、母は長男の嫁として、経験のない農業で大変だったそうだ。私が産気づく直前まで働き、突然の陣痛だったそうだ。

 産婆が呼ばれ、翌日の朝に生まれたそうだ。祖父は大変に喜んでくれたそうだが、産婆に呼ばれて私を渡されたときに愕然としてしまったという。大きな頭と、それに小さな体がぶら下がり、呼吸はしていなかったらしい。父は戦中に少し医学を学んだそうで、直ぐに蘇生させようと努力をした。祖父が昔から伝わった方法で息を吹き帰らせ、わずかに呼吸を始めたので、懸命に人工呼吸をしたという。自力呼吸を始めると、青黒かった身体が、見る見る赤くなっていったそうだ。産婆は、医者に診せても長生きはしないし、生きても10歳までは無理だろうと言って帰って行ったそうだ。

 そのせいか祖父からは特に可愛がられ、家に伝わる多くの話を聞かされ、伝わってきた古神道を通して様々なことを学んだ。きっと祖父は私が10歳までには死んでしまうと思ったのかも知れない。私が10歳になったときに、祖父は亡くなった。

小俣通いの時期

小俣町(村)から葉鹿町(村)へのこの道も、この半分くらいの幅で、砂利道でした。両側は田畑でしたが、いつの間にか住宅地になっていました。

 10歳まで小俣町に通っては、祖父から多くのことを学んだ。その話しは機会が有れば別稿に回し、小俣に行く楽しみの一つに、同い年の女の子に会うこともあった。昔の子どもの髪型の、いわゆるオカッパというもので、スカートはくすんだ赤で、上はいつも白のブラウスだったように思う。スカートから出ている足は、いつ見ても虫に刺された小さな赤い跡が幾つかあった。会う度にそれが気になっていた。

 小俣町を通る現在の県道227号線は、国道50号線が少し離れた所に出来るまで、バスも桐生駅から足利まで通っていた。その国道も50号バイパスが出来てからいつの間にか国道でなくなった。小俣を通るその道の横には数件の家が並んでいたが、その裏は皆田畑で今のような状態ではなかった。

 その子との遊びは畑の中を走り回り、わずかな家の間を隠れん坊するように隠れては驚かしていたりしていた。今と違って子どもの数は多かったのに、田舎に行くといつもこの子と遊んでいたように思う。犬も鶏も、馬さえ農家の庭で自由に遊び相手になっていた。春から秋にかけて、いつも近くに鷺が居て二人をじっと見ていたように感じた。田畑には土を盛って作った水路があり、いつも水が流れていた。そこには蛙やザリガニ、蛇やドジョウが泳いでいた。水路の水は細い川にも流れ込み、その川にもザリガニや蛙がいたし、小さな魚も泳いでいた。鷺が近くに寄って来ていたのは、自分の領地が荒らされていると感じたのかも知れない。

 ある時、道沿いのこの神社の縁側に腰掛け、駄菓子を二人並んで食べていると、近くのいつも見るお婆さんが「お似合いのイイナズケだね」って言ったのを覚えている。その「イイナズケ」の意味が分からず、母から将来のお嫁さんになる人だと聞き、その子に対しての関わり方が変わった。乱暴な遊び方をしなくなり、何をするにも先ず彼女の安全を気遣うようになった。

 いつも気になっていた、足の虫さされの事がどうしても知りたくて聞いた。少し痒いと聞いて、それを掻いてあげて血を出した。汚れてサラサラとした肌の足で、妙に温かかった。記憶では、その後は会った覚えがない。多分その時期が10歳の頃で、祖父が亡くなった頃ではないかと思う。その子は本当に「イイナズケ」だったのか未だに解らない。思い出そうとしても、楽しかった思い出はあるのに、なぜか顔を思い出せない。祖父が亡くなってから小俣通いはしなくなってしまった。

由来の解らない神社

昔の風景は、この神社の向こうにわずかな畑があり、その先の桐生川に沿った土手には桜並木がありました。

 足利市小俣町濁沼(にごりま)を通ると、懐かしい思いになるのはこの神社だ。

 この道は昔と違い、今は両側に多くの家が建っていて、県道と言っても狭くて、舗装はされているが、ごく普通の田舎道だ。そんな田舎道の傍らに古ぼけた神社がひっそりと建っている。何が奉ってあるのか解らず、使うことがあるのかさえ知らない。やがて崩れるのではないか、道の拡幅工事でもあれば真っ先に壊されてしまうのではないかと思われるような神社だ。果たして本当に神社なのかも知らない。

 この小さな神社の建物を見る度に、小俣での祖父と過ごした時間や、祖父から学んだこと、そして伸び伸びと走り回った子ども時代を、あのオカッパ頭の子と共に思い出す。