吉井温泉 牛伏の湯

〒370-2115 群馬県多野郡吉井町多比良2483-1   TEL:027-387-1092  FAX:027-387-1009

【泉質】ナトリウム・塩化物強塩温泉【効能】神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・打ち身・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進・切り傷・火傷・慢性皮膚病・虚弱児童・慢性婦人病

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初稿 2008年7月14日

2009年9月8日更新

牛伏の湯正面 鮎川温泉「金井の湯」の帰りに、せっかく藤岡に来たのだからと思い、「牛伏の湯」にも寄ってみた。泉質は「金井の湯」と同じ様な「化石海洋水」と言う事かも知れない。やはり塩味がした。ここも入浴しやすいようにと加水していた。加水・加熱・多少の循環は、この前に入って来た「金井の湯」と同じ。

こちらの入浴料金は終日600円、ちょうど10周年記念とかで、うどんやラーメンなどの簡単な食事付きで900円だった。ロッカー代は無料で、料金設定としては低価格になっている。直ぐに出ようと思っていたので、入浴料金の600円だけとした。ところが、広い内湯と露天風呂共に源泉を使用していて、しかもここに来る前にも入浴をしてきたせいか、ドッと疲れてしまい、うどんを頼んだ。受付の女性が、入館の時に食事付きとしますので、あと300円追加して下さい、と言ってきた。確かにその方が遙かに得だ。

牛伏の湯裏側 湯口から流れ出る量は少し少ないが、確かに源泉を使用してる。そして、加水をしなければならないというのが良く分かった。肌にまとわりつく様な感覚があり、少し刺激がある。無色透明なのだが、少し入れば良く分かる。以前に、どこかで海水の風呂に入った事があったが、あの時の様な確かな刺激があった。上がり湯を掛けないと、肌に張り付く感覚がある。

広い内湯は一つで、温泉だけで勝負といったところか。洗い場も10ヶ所ほど有ったが、入浴をすると直ぐに暑くなり、休んでいると肌がべたつく様に感じる。露天も特に飾り気も無く、高速道路が近くにある割には騒音を全く感じない。目の前には木々が生い茂り、気が付くと大きな鳥が、もしかしてトビかも知れないのだが、果たしてこれほど近くに寄ってくるものか定かではない。しかも気が付けば、どこかで「ホー、ホー、ホケキョ」って、これはウグイスか。ウグイスってまだ鳴いているのだろうか。何ともノドカというか、スゴイ深山幽谷とも思えないのだが。

建物の裏からは高速道路が見える 建物も風呂も、嫌いな人には嫌いかも知れない。おかしな表現になったが、風呂場の洗い道具が内湯の中に置いたままだったり、露天風呂の横には浮いたゴミをすくうのか、魚用と思われる大きな網が立てかけてある。全く飾ろうともしない、風呂だけを楽しみに来て下さい、という事らしい。風呂は久し振りに良い温泉に巡り会えたと感じた。「化石海洋水」は、太田の「安眠の湯」もそうだ。「安眠の湯」はスーパー銭湯の形をとりながら、源泉掛け流しになってる。味は加水してるが、こちらの方が強く感じる。良い温泉だが、昔の宿屋を、そのまま日帰り湯にした様な感じかな。

近在の田園風景 午後の3時頃に行ったが、客は10名も居なかった。これほどの温泉なのに、何とも勿体ないと思う。休憩室は広く、多少客が多くても自由に横になれるだろう。決して綺麗な作りとは言えないし、近代的とも思えないが、接客態度は悪くはない。要するに、全てに渡ってノンビリムードなのだ。久々に気に入ったが、いかに吉井ICの近くといっても、我が家からは遠すぎる。北毛や東毛の、湯量が豊富で自然が豊かな所にばかり行ってるので、些かの不満は感じる。

近くの「甘楽町総合福祉センター かんらの湯」や「甘楽町物産センター」、小幡城・摩崖仏などを見るのも良いかもしれない。一日中居るのは、たぶん疲れてしまうだろう。湯治と思えば良いのかも知れないが。


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牛伏の湯近くの観光

甘楽町総合福祉センター かんらの湯

泉質が「ナトリウムー塩化物強塩冷鉱泉」という事なので、たぶん「金井の湯」や「牛伏の湯」と、効能なども同じだと思う。

小幡城

織田信雄が慶長19年(1614)に陣屋を構えたのが始まり。明和4年(1761)に松平忠恒が入封。忠恒の孫忠恵が若年寄役に就き、城主格を与えられたので、城作りではないが小幡城と呼ばれる様になった。武家屋敷なども残って居る。公園としての整備もされている様だ。

甘楽の大摩崖仏

長厳寺には、国内最大級の磨崖仏が残されています。と言っても顔だけですが。大きさは縦10m、横8m。素人彫刻家故吉田文作氏が、昭和54年から6年かけて完成させたそうです。古い、歴史的なものではないですけど。