初めての川原湯温泉

初めて川原湯温泉に行ったのは、まだ高校生の免許を取ったばかりの16歳の頃だった。小さな、狭い山道に張り付いた様な温泉街は、余り印象に残らなかった。その無関心さの為、川原湯温泉がダムの下に沈む事を知り、大きなショックを受けた。

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2008年5月3日更新

川原湯温泉から駅を見る 初めて川原湯温泉を知ったのは、確かまだ高校生の頃だった。16歳で軽自動車の免許を取り、目的もなくドライブして、1日かけてたどり着いたのが、まだ舗装もされていなかった狭い山道に入る、川原湯温泉の看板の前だった。歓迎のアーチ看板を入って直ぐの辺りに小さな店があり、お婆ちゃんがいて、水をいただきました。土産を買うでもないのに、水の次にはお茶と小さな饅頭が出てきて、何を話したのかは忘れたがしばらく居た様に思う。

 今思えば、確か駅前の道も狭く舗装もされていなかった様だ。単なる歓迎のアーチを見て、何となく入り込んだのが、川原湯温泉だった。随分と進んだ所に、狭い道に張り付く様に小さな宿があっただけで、温泉地としての名前など聞いた事もなかった。ダム建設が決まった頃ではなかったのかと思う。歓迎アーチの辺りで、ダム反対の看板を見た様な気もする。

 後に知ったのだが、川原湯温泉は草津の上がり湯とか、伊香保の奥座敷とか言われていたらしい。草津の強酸性の温泉は、時には肌に強すぎる様で、帰りに川原湯温泉の弱アルカリ性の温泉に浸る事で肌を整えたのだろう。また伊香保からは、榛名山を挟んだ吾妻側に位置している。この様に狭く、山肌にへばり付いた様な温泉街にしては珍しく、食べ物も美味しく、吾妻渓谷で知られる様に景観も素晴らしく、しかも芸子さんも居たと聞く。伊香保に湯治に来たお大尽が、ちょっと反対側の川原湯温泉に数日泊まるのも、当時としては贅沢な事だったのだろう。伊香保も当時は芸者さんも多く賑やかな温泉街で、それに比べて川原湯温泉は自然の中でゆっくりと過ごせる温泉地と思う。往年の話を聞くにつれ、さぞ賑わっていただろうと思うととに、隠れ宿というイメージも湧いてくる。

 温泉街に入る少し手前には、講道館柔道の創始者嘉納治五郎の別荘が在る。尤も、当時はそんな事も知らず、最近訪ねてみたら工事の資材置き場入り口に看板だけが立っていた。残しておいても、所詮はダムの底になってしまう。記念館として残しても無駄という事なのだろうか。

 上毛カルタに「耶馬溪しのぐ吾妻峡」と有る。群馬県に住む子供なら、必ず一度は小学校の時に覚えさせられる。現在も暮れになると、小学校行事として競技会が行われている。もちろんこの「耶馬溪しのぐ・・・」は知っていたが、全くここだという意識はなかった。草津や万座に行く時に吾妻渓谷を通る。何となく良い景色とは思っても、吾妻渓谷は道の下の吾妻川沿いであるせいか、ほとんど興味はなかった。ダムによって湖底に沈む事を知り、急に見ておきたくなり、更に忘れていた川原湯温泉を思い出した。盛んな新緑は見る時間もあるが、紅葉の美しさはその時期に巡り会えるチャンスは少ない。旅館でせせらぎを聞き、周囲の紅葉を見る事も、もう出来なくなる。

 二十歳を過ぎた頃、やはり何となく中之条方面にドライブをし、川原湯温泉駅の前まで来た。高校の時の頃を思い出し、懐かしさもあったが、アーチの先には進めない様な殺伐感を感じた。住民とは違う、ある意味責任感のない旅人の様なもので、ダムなどは無関心であったせいか、ダム反対の立て看板は人を寄せ付けないものがあった。もし今の様な年齢であったなら、年齢と言うよりも、今と同じように群馬の自然に誇りを感じていたら、きっと反対運動に協力していただろう。

吾妻渓谷 戦国時代からの物語を秘め、更には日本武尊伝説にまで遡る、温泉と大自然という豊かな自然環境に包まれてきた川原湯温泉。残念な事だが、険しい山と渓谷に挟まれた、この狭い通りに張り付く様な土地に護られてきた温泉が消えてしまう。東京の水瓶という事だが、東京は偉大な自然と引き替えに水を手に入れる。本当に現在も、東京は水を必要としてるのかは疑問だが、日本の公共事業は動き出したら国民の意思に拘わらず止められない。長い時間と莫大な予算を注ぎ込み、更にこの温泉と同じ水質の中和とダム設備維持の為に、東京都を始め多くの自治体は巨額の予算、住民の税金を注ぎ込み続けなければならない。出来たら終わりではなく、永遠に税金を使い続けるのだから、都民は大事に使ってもらいたいものだ。一つの都市の為に、これだけの自然を消してしまうのだから。

群馬の中でこれだけの事業が進んでいながら、若い時にそんな問題とすれ違いながら、何も述べられなかった事が残念に思う。久々に狭い川原湯温泉街の道を歩き、この自然、空を飛ぶ野鳥や木々の間に潜む動物たち、長い年月を耐え自然と同化してきた野仏や神社仏閣、そしてこの地の人々の中に伝わった多くの民話や生活の知恵や自然との付合い方も、同じ群馬県人で有りながら、全くの無関心であった為に、消え去ろうとしている。


嘉納治五郎(かのう じごろう)

万延元年10月28日〜昭和13年5月4日(1860〜1938)
摂津国御影村(現兵庫県神戸市東灘区御影町)生まれ。明治14年(1881)東京大学文学部政治学科および理財学科を卒業。学習院教授、第一高等中学校校長、東京高等師範学校校長などを歴任。天神真楊流柔術・起倒流を総合改良して柔道を創始、15年(1882)に講道館を創設して館長となる。柔道以外にも、剣術・棒術・薙刀術・大東流合気柔術等の古武道も研究。日本人初のIOC委員に成り、東京オリンピック招致(1940年:戦争により実現出来なかった)にも成功。

上毛カルタ

群馬県の文化や自然を愛する、教育的な意味もあり昭和22年12月1日に初版発行された。児童福祉法第八条の文化財として推薦され、学校の副教材として学んでいる。群馬県の歴史・文化・人物・名産などを知ると共に、年中行事の一つとして教育自治会関係者主催でカルタ大会が行われる。群馬県人でこのカルタを知らない人は居ない。

「ち」の「力を合わせる200万」はその時々で数字が替わる。むかし習った時は「力を合わせる160万」だった。

「滝は吹割片品渓谷(たきはふきわれ かたしなけいこく) 」の、片品渓谷のダムは、建設後の維持管理費が掛かるという事や、水需要が変わったという事で取り止めになった。「耶馬溪しのぐ吾妻峡(やばけいしのぐ あがつまきょう)」の吾妻渓谷は、一部を残して消える事になった。

「しのぶ毛の国二子塚(しのぶけのくに ふたごづか)」と長い歴史と上毛文化に育まれた上毛人気質は、熱しやすく冷めやすい、根本的に穏やかな性格なのだろう。ダム建設に関しても、県民全体で力を合わせ考える事は無かったのではないか、などと思ってしまう。

上毛カルタについて、詳しくは「上毛カルタのページ」を参照。

宿泊施設

柏屋旅館
Tel.0279-83-2231
8,000円より

敬業館 みよしや
Tel.0279-83-2311
8,000〜15,000円

高田屋
Tel.0279-83-2411
10,000〜15,800円

丸木屋旅館
Tel.0279-83-2121
8,000円より

やまきぼし
Tel.0279-83-2011
10,000円より

山木館
Tel.0279-83-2221
10,000〜18,000円

やまた旅館
Tel.0279-83-2408
7,000円より

中島旅館
Tel.0279-83-2035
7,500円より

旅館 山水
Tel.0279-83-2052
8,000〜10,000円

ホテルゆうあい
Tel.0279-83-2016
7,000円より

民宿 雷五郎
Tel.0279-83-2323
4,300円より

周辺観光温泉地

老神(オイガミ)温泉

水上温泉

伊香保温泉

四万(シマ)温泉

草津温泉

万座温泉

北軽井沢

軽井沢

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中軽井沢