白滝姫と森喜作 

今の桐生市が今日あるのは、1300年前に白滝姫が絹織物と粉食文化を伝えたからだ。空海が伝えた最新技術を桐生に伝え、うどんの製法も伝えて人々の食生活も豊かにした。近代では森喜作氏が、椎茸の人工栽培を開発し、桐生の地から全国、世界にまでその普及に努めてきた。

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2008年8月28日

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桐生市川内町の白滝神社 桐生市の偉人といえば、今の桐生織物を作った白滝姫と、椎茸栽培の基礎を築いた森喜作氏であろう。白滝姫は桐生市の伝説的偉人として知られている。当時中国から空海が伝えた絹織物等の最新技術と共に、うどんの製麺法などの食文化も桐生に根付かせた人でもある。今日の桐生織物の礎を築くと共に、桐生市を中心にしたうどん文化、粉食文化の基礎を伝えた人でもある。森産業の創始者の森喜作博士は、戦前に椎茸のj人工栽培を研究し、日本の農家を再生させた、世界に誇る偉人といえる。今なお、きのこ類の研究と人工栽培では、世界のきのこ栽培の最先端を行く研究所を残した人でもある。森博士の椎茸と白滝姫のうどんを、桐生市の外れの山の中に建つ、きのこ茶で味わう事が出来た。 [下の地図表示が出ない時には、ページの更新を試して下さい。]

白滝姫の物語

桐生市産業文化会館前の織姫神社 今から1300年も前の話し、上野国(こうずけのくに)山田郡(現在の桐生市川内町辺り)には、さしたる産業も無く、税の代わりに賦役として一人の青年が京都の公家屋敷で下働きをする事になった。この家からは帝の元へ女官として白滝姫が宮中に上がっていたという。

 山田の某という青年は、この白滝姫を見て恋い焦がれ、ついに思いの丈を伝えるべく、恋歌を送った。東国の外れ、上野の国から来た下働きの者が、教養あふれる見事な歌を、しかも如何に恋い焦がれているかを歌ったものを受け取り、いつしか白滝姫もこの青年に恋する様になった。

 山田の某が都を離れ故郷に帰る時、やっと二人の恋は許され、共に桐生に戻る事になった。今の川内町辺りに着いたとき、「ああ、この辺りの山は京の都の小倉山に似ている」とか言ったという。その為にこの辺りを小倉とか小倉山、あるいは仁田山と言われる様になったという。江戸時代前期まで、桐生織物を「仁田山紬」と言っていたそうだ。

 白滝姫は教養と知性のあふれた優しい人物で、中国から戻った空海が伝えた最新技術を学び、それを桐生に伝えた。わずかに採れていた蚕の量産技術と、その蚕の絹を使っての織物技術も伝えた。当時としては最高の絹織物となった様で、延喜5年(905年)上野国の税はあしぎぬ(絹織物)と定められた。貧しかった村人は、絹織物の産業で豊かな暮らしになっていった。

桐生が岡公園の白滝姫像 白滝姫のもう一つ伝えたものに、空海が伝えた「うどん」などの粉食文化がある。明治以降、絹織物の殖産産業で桐生市が興隆したときに、陰では働く織り子さん達の空腹を癒したのが「うどん」だが、この「うどん」の製麺法も白滝姫が伝えたものだと言われている。貧しいこの辺りでは小麦だけは良く育っていた様で、これを粉にひき、捏ねて伸ばしてうどんにする。そのうどんを煮込むときに、その時々の季節の野菜を入れて煮る。これが今に伝わる上州の郷土料理の「おっ切り込み」というものだ。

 この辺りの土地では「地粉」という、少し色が悪くコシが強くて、麺自体に独特の味もある。煮込んでも溶けたり崩れたりし難く、小麦本来の栄養価も高い。白く精製されたものよりも見た目は良くないが、本来の麺の旨味は残っている。きのこ茶屋で食べたのは、この地粉で作られたうどんだった。ランチメニューとして載ってるが、せいぜい10食分くらいしか打てないという。精製された粉と違い、面倒なのだろう。昔からの地粉を使うのも店長のこだわりなのかも知れない。ここでは「おっ切り込み」ではなく、普通の付け汁で食べる様だ。新規開店後間もないので仕方ないが、いずれは上州の「おっ切り込み」を、きのこと共に食してみたいと思っている。

 白滝神社は今も川内町にあるが、良く知られているのは桐生市産業文化会館前、市役所の横にある「織姫神社」だろう。この地に川の水を利用して発電し、日本織物株式会社(富士紡績株式会社)がその興隆をした頃、明治28年に白滝神社から分祀され織姫神社としたようだ。御神体は白滝姫の像だと聞いた事がある。同じ様な白滝姫の像は、桐生が岡公園にも建てられている。

森博士と椎茸

きのこ茶屋 森喜作氏は桐生市の裕福な家の生まれた。京都大学農学部に進み、学生時代に大分に旅行し、椎茸農家の実情を目にした。原木を林の中に置き、ただただ椎茸の菌が付く事を願うだけの、ばくちの様な椎茸栽培を目にして、何とか人工栽培が出来ないかと研究を続けた。ついに完成させて、大分の農家にその種ゴマをプレゼントしたという美談が有名。森博士の研究は、御木本幸吉の真珠養殖と共に日本の誇る発明として知られている。森氏のこの話は、教科書にも載っている。

 現在も世界のきのこ類の研究施設「財団法人日本きのこ研究所」があり、各種のきのこ類の人工栽培の研究と普及に尽くしている。きのこ研究所の近く、きのこ茶屋の炭火焼で出されるきのこは、日本でも最高の物が出るのは、森産業やきのこ研究所との関わりがあるせいかもしれない。まさに此処こそ、世界の椎茸栽培の原点の地とも言える。

きのこ茶屋近くの椎茸神社 きのこ茶屋は嘗てきのこ会館というホテルの食事処として、現在の杉木立の中に作られた。森博士が椎茸栽培の農家が皆栽培で成功するようにと、近くには昭和46年に分祀され、金比羅様を祀った椎茸神社も建てられている。きのこに関する資料を初め、この付近には多くの施設があり、世界への普及事業と共に長く親しまれてきた。平成20年、きのこ会館は閉鎖解体されたが、きのこ茶屋は同年7月からリニューアルオープンされた。鬱蒼とした杉木立の中、まるできのこの様に建つ八角棟や、自然を活かした周辺の景観は一見の価値を感じる。

 店長も又、森博士と共にきのこ栽培に関係してきた人らしく、きのこに関しては常に最高級品を提供する事に努めている。それ故、時には追加注文も断ることもあるようだ。森喜作と共に生きた自負からか、きのこに関しては妥協を許さない。森氏と共に歩んだこのきのこ茶屋も、嘗てと同じように護り続けている。


白滝神社の降臨石

白滝神社の降臨石

白滝神社の鳥居横には、大きな岩があります。これは桐生に機織り技術を伝えた白滝姫が亡くなった後、七夕の日に天から落ちてきたそうです。この岩の横に姫を埋葬しました。その後この岩から「カランコロン」と機織りの音がしてくる様になったそうです。ある時下駄を履いてこの岩を上った者が居て、以来この音がしなくなったそうです。

更には、この岩に関しての民話がありますが、それは「桐生の民話」から「降臨石の小僧」を読んで下さい。

織姫神社

現在知られている織姫神社は、産業文化会館と市役所の所にある。今の市役所は嘗ての富士紡績株式会社跡地に建てられた物。明治28年(1895年)に日本織物株式会社(後の富士紡績株式会社)によって、山田郡川内村(現:桐生市川内町)の白滝神社から現在地に勧請したものである。産業文化会館から少し離れた桐生厚生病院横には、水力発電所跡も残されている。御神体は白滝姫の像で、白滝姫こそ現在の桐生の礎を築いた人物でもある。

きのこ茶屋 

きのこ茶屋群馬県桐生市平井町1152。

電話:0277-32-6977

FAX:0277-32-6978

平成20年7月より新規オープンした。椎茸他各種の炭焼きと素朴な料理が美味い。昼時にはランチメニューも用意されている。地粉のうどんはランチメニューにも成ってるが、10食程度なので夜の炭焼きと共に食べたいときには、早めの事前予約が必要。

桐が岡公園

入園無料の桐生が岡動物園と、桐生が岡遊園地が併設されている。広い園内には100種類の動物や、丘陵地を活かした散歩も楽しめる。遊園地には観覧車などの多くの遊具があり、家族連れで楽しめる。駐車場も広く、市民のみではなく、遠くからも多くの人が訪れている。少し離れた所には吾妻公園もあり、植物園としても楽しめる。